2018年1月26日号 Vol.318

「ぼけ」について


最近、私自身が一番傷ついたことは、はっきりといわれたわけではないけど、私が「ぼけた」と認識されたことである。81歳、もうじき82歳になるので、自分が若い人たちのように敏捷にものに反応しないだろうとは思う。けれど、「ぼける」とはちょっと違うだろう。
しかし、周囲の反応は厳しくて、だれも私のいうことを信用してくれない。理由は、私のいうことが、科学的に証明されないからである。私は「誰か」につきまとわれ、持ち物を盗まれ、盗聴され、つねに監視されている、と訴えると、必ず返ってくるのは「気のせいです」という言葉。私が絶えず悩まされている深刻な問題は、まるで現代医学の範疇には入っていないのである。姿の見えない泥棒が、毎夜、私の部屋に入ってくると言っても「鍵が悪いのでは」と言われるのだ。「いいえ。入ってくるのは実態のない目に見えない幽霊みたいなものなので、鍵をいくら替えても入ってきます」と言っても信用しない。彼らがいいたいことは、「この老人はボケて、幻覚を見ている」という非常に常識的な結論なのだった。
80歳まで20年間、ほとんど一人住いをしたが、こんなことはなかった。彼(彼女?)の欲しいものは、最初は衣類や道具のようなものだったが、しだいにエスカレートしてきて、わずかな銀行預金にまで手をつけ始めた。銀行の報告書やチェックブック、衣服や本の他、机上にあるたくさんの小物、ノートブックや手紙類がどんどんなくなった。毎日、なくなるものの点検をしても追いつかなかった。留守の間に、私の家のコンピューターをいじられて、勝手にパスワードが変えられた。コンピューターの調子が悪くて修理に行っても、パスワードが分からないので、完全に直す事ができない。新しく変えることもできない。私になにかの恨みでもあるのだろうか。年寄りがコンピューターをいじるのを、ひやかしているのだろうか。そういうと、「自分で変えて忘れたのではないの?」というヤジがきこえる。

「もの」には、必ずそれにまつわるエピソードがある。それをくれた人への感謝、買った時の気持ち、使ったときの思い出、それらが自分にとっての「もの」の価値となる。値段ではない。汚れさえ懐かしい。「あいつから盗んだ宝石」などと思うものに愛着心が湧くだろうか。いくらで売れるというような金勘定で「しめしめ」と思うようなゲスな資本主義的根性は、いずれそれなりの崩れ方をするだろう。
ソ連という左派勢力があって、世界の思想が、曲がりなりにも右と左の2大グループに分断され、たとえ幻想であっても右と左が対立していた頃は、それなりに私たちは真剣に、命がけで、左右に別れて対立していた。60年安保闘争も、それなりに真剣で、皇居前のデモでは死者さえ出た。子供の頃、戦争と戦後を体験をし、もう戦争はしないと決めた私たちは、安保条約締結の日の夜中まで、皇居前広場でがんばった。
だが、1989年11月に、ベルリンの壁が崩れた時から、現在の資本主義だけの世界が始まった。きのうまで赤旗を掲げて安保闘争に走っていた若者は、今日は白いスニーカーをはいて、ジョギングに熱中し始めた。金を稼ぐための体力作りである。金は、この頃から神様になった。今は、その爛熟期かもしれない。しかし、すべて、永遠には続かないものだ。脳細胞が老化すれば「ぼけ」は必ずやってくる。今、私のことをぼけているとからかっているあなたたちにも。
80歳を過ぎて、思うことは、
「ここを過ぎて悲しみの市(まち)」
これを書いたとき、ダンテは80歳だったのだろうか。(飯村昭子)



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