NY近郊ゴルフ場ガイド
[其の17]
木製の竪琴、竹の束でできた管楽器やハモニカ、昔の中国の琵琶や琴、シルクロードに響き渡った横笛や琴、雅楽で今でも使われる和楽器の笙など、さらにバイオリンやオーボエもまじえた奏者たちが白装束でカーネギーのステージに並ぶ。後方には大掛かりな古代中国の打楽器。 シルクロードを行き交った人々の手で日本に伝わり、大仏開眼の儀式に使われたという楽器。正倉院所蔵の8世紀の楽器、絵や彫刻から想像するしかない楽器などが、白いコスチュームの「アンサンブル・オリジン」の奏者たちに抱かれて、演奏を待っている。 復元した古代アジアの楽器と現代の楽器を使い、1000年前の音を現代に取り戻そうというこのオーケストラ。1998年に結成された。 一柳氏の新曲「CO-EXISTENCE」(2008)の演奏が、今始まろうとしている。期待が会場を息苦しくしている。 ライトが落ち、突然、指揮者なしで、演奏が始まった。全楽器が同時に音を出し始めた。メロディーではなく音である。息の長い動物の遠吠えのような持続音。さえずるような音。弦をつま弾く音、擦る音、突然、雷のように大音響がおちる。それでもかすかにせせらぎのように鳴りつづける音。はじける音、うねる音。そこに声明グループの読経の声が混じる。 それぞれのペースで林立する音のアナーキーは作曲家を超え、色や光、空気や火や水と同じように、大自然の一部となっていた。人類が大昔からその中で生き、畏れ、祈り、癒され、死んだ、制御不能のエネルギーがそこに生まれていた。 そして、ここで奏者たちがまとっていた白い衣装も、音とともにすさまじいエネルギーを生み出していた。白は薄いライトのもとでは、生命をもち、さまざまな色合いに変化して音と協奏する。昔からさまざまな儀式に白色が用いられてきたのは、この色のもつこういう効果を意識してのことだったのかと思う。 音楽が宗教の儀式によく使われるのは、こうした原始的な力とつながる機能があるからだろう。道具を使い始めてから人類は感覚する能力をどんどん減らしてきた。10世紀も前の人類は、テクノロジーのおかげで今は失われたが、自然や超自然とつながるすばらしい能力を備えていたはずだ。音楽や絵画、彫刻などのオブジェは、鑑賞の対象でなく祈りのための手段だったろう。 そのために使われたアジアの古代楽器からその記憶をよみがえらせ、鈍った現代人の感性にどう働きかけるか。解説に頼る現代人の感性の鈍さは、あまりにも絶望的。 このアンサンブルの演奏は、ヨーロッパの教会などで深い感銘を呼び起こしたというが、そうだろうと納得できる。私たちが素直に古代人の心を取り戻せるとしたら、素直に彼らと同じ神に向かうしかない。 幼年時代から天才ピアニストで、ピアニストとして成功するはずだった一柳氏が作曲家の道を選んだ50年代は、19世紀からある古典的な西洋音楽の殻を破る作曲家が続々出て来た時代だった。新しい音楽を求めて、54年にアメリカに留学。そこには、自由で大らか、東洋文化にも興味をもつなど、既成の枠からはずれた自由な発想をする作曲家やアーティストたちが大勢いた。中でも若いジュリアード留学生だった一柳氏に革命的な影響を与えたのは、前衛作曲家のジョン・ケージだった。ケージとともに約6年すごした。 禅や占いにひかれ、マッシュルームの採集に熱心だったケージは、自分のコンサートを手伝わせたりしながら一柳氏に影響を与えていった。 楽音と騒音の垣根をとりはずし、プロセスを偶然にゆだね、音楽のコマンダーになることをやめ、優しい心ですべてを受け入れるケージの東洋思想に通じる音楽観は、それ以後、自由自在に変化し広がる一柳音楽の基盤になった。 70年の大阪万博でのダイナミックな電子音学、和洋の楽器を合わせた室内楽、オペラなどの広がり、そして人類の歴史を遡って音楽を考えるという深さで一柳音楽のスケールの大きさが語られる。しかし、音楽そのものは自然の一部であり、個人でなく宇宙全体に帰属するものだ。 この新作の一柳作品はもはや彼のものではなかった。天から降ってきたような音。古代人が恐れながら聴いていた音だった。(3月14日、カーネギー、ザンケルホールで)