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よみタイムVol.93 7月18日発行号

 [其の21]


コミニュケーションの原点追求 演劇人・笈田勝弘(ヨシ・オイダ)
演劇実験の訓練で超能力会得
瞑想の中で、自分を確かめる

 白い服を着た笈田さんは、舞台の中央にある大きな座ぶとんのような台の上に両足を組んで座り、座禅でもしているようなポーズで台詞を言っていた。ジャパン・ソサエティーでの独り芝居だった。
 そのうちに座ったまま座ぶとんから浮き上がった。ほんの一瞬だったが、客席にいた私の目に間違いはない。空中浮揚。当時、オーム教の教祖が話題を呼んでいたのもこの現象によってだった。
 その後、ブルックリンのBAMで、ピーター・ブルック演出の10時間かけての「マハバーラタ」を観た時、大火炎の中で異様な力を発揮するヨシ・オイダの上にあの浮揚の姿が重なって仕方がなかった。
 客席の中に立つ彼を撮影したが、その時でも、この人はただ者ではないという先入観がぬけなかった。
 その後お会いすると、「気というものを癒しに使う人がいられるそうで、ぜひ会いたい」とのこと。元空手チャンピオンで今は気による難病治療に専念している新倉勝美氏のことだった。
 対面した二人は、長い時間「気」について話しあった。「気は超能力ではなく誰でも持っています」新倉氏が言うと、笈田さんは深くうなづいて「ほんとに、しかしそれをどう生かすか問題ですね」と言った。
 笈田さんは、もともと日本で浅利慶太の主宰する劇団「四季」の俳優だった。そういう彼が、パリに渡って実験演劇の大御所である演出家のピーター・ブルックの劇団の一員として活動し始めたのは、偶然と言ってもいい、世界中が反体制運動で燃え上がっていた1968年のことだった。初め3か月の約束だったが、引きづられるように、ずっとブルックの実験演劇を支えてきた。
 多国籍の俳優による演劇というブルックの実験のために、言葉も肌の色も異なる俳優たちと共生し、パリ、ロンドン、アフリカ、中近東、アメリカと、世界地図の上を何十年も転々としてきた。言葉も文化も否定したこの演劇実験の訓練に没頭し、言葉や習慣的仕草を手段としないコミュニケーションを追求しているうちに、笈田さんは知らず知らずのうちに超能力とでもいえる特殊な能力を会得したのだろう。笈田さんの眉間に刻まれた深い皺の間には、彼が修めた狂言や義太夫の表現だけでなく、人間が根源的に持っているエネルギーが感じられる。
 日本語や英語、あるいは身ぶりでコミュニケーションができないと、自分は何ものなのか。どこから来て、どこへ行くのかというゴーギャンの問いが、湧いてくる。笈田さんがブルックから突き付けられていたのは、この問いだったのだろう。
 パリで、笈田さんがレストランを開いたと聞いて、訊ねたことがある。笈田さんはしっかりマネジャーらしくふるまい、お客を楽しませてくれていた。やっぱり俳優だなと思った。自分の原点をすくなくとも知ろうとしている人なので、なんにでもなれるのである。 
 それからもう5年ほどたって「笈田さんをアップステートの瞑想センターまで送っていくけど、一緒にいかない?」と、笈田さんの四季時代からの旧友で演劇プロデューサーの仙石紀子さんに誘われ、同行した。
 ニューヨークに来ると必ず行くとは聞いていた瞑想の場所を知ることができた。大勢の人が瞑想する大広間は、淡い光とひんやりした空気に満ち、耳が痛くなるほど静かだった。
 笈田さんを瞑想の家に残して表に出た。正面に土手のように延びている小高い丘に登ってみると、土手の縁は盆のへり状になっていて、それに囲まれた野球場ほどもある平坦なスペースの中は、レコード盤の溝のように延びる細い渦巻き状の線で占められていて、その線は実は、中心と外側を結ぶ一本の長い道だった。どこにも隠れようがないこの空間を、笈田さんは瞑想しながら歩くのだろうかと思った。自分を内から見、外から見、見えないところまで見て確かめる。演劇の厳しさが分る気がした。それにしても俳優とは、なんと壮烈な仕事なのだろう。
 最近は演出家として、ドイツでオペラなどを手がけているそうで、仙石さんによると、素晴らしい評判だそうだ。