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よみタイムVol.99 10月17日発行号

 [其の24]


戦後民主主義と大江健三郎
日本人の偽善と不勉強に悲憤
「沖縄集団自殺」裁判のエッセイ

筆者撮影(NYにて)

自著にサインする大江さん(NYにて)

 最近、太平洋戦争時代のことを話してほしいという人たちがいて、もう遠くなった記憶をズルズルとひもといていくうちに、60年前の光景がその当時の感情を伴って、ぞくぞく現れてくるのに驚いた。国民学校に入学、家が空襲で焼けて疎開。敗戦後、焼け野原になった東京に戻り、一家でバラックに住んだ。
 罹災者の戦後の暮らしはゼロからの出発だった。必死に1日1日を生きる両親を、私はなんとか助けたかったが、せいぜいお使いや水汲みを手伝うくらいしかできない。早く大人になって親を助けたいと、どんなに思ったことだろう。
 そんなことをぼつぼつ話していると、聞いていた人の一人が「でも、ふつうの人は」と、口をはさんだ。「ふつうの人」という言葉に私はつまずき、つい相手のあとの言葉を遮ってしまった。
 「ふつうの人」とは、たとえば「家が焼けなかった人」、「戦争の被害を受けなかった人」というほどの意味だろう。「ふつうの人はそんな異常な体験はしなかったのではないの?」と。
 あの時代にそういう「ふつうの人」がいたとすれば、軍の関係者か闇屋くらいで、ほとんどの人は物資も食料もないどん底の暮らしを強いられていた。しかし、どん底にもいろいろあって、「焼けだされた人」「家族が戦死した人」「原爆の被爆者」「戦災孤児」「引揚者」「パンパンガール」「闇屋」、体が不自由な「白衣の軍人」などさまざまで、どん底にもそれなりの格差があったように思う。
 私も自分なりに戦後の現実を受け止め、親をなくして上野駅の地下道で浮浪児になって寝ている子よりいいと思っていた。浮浪児より私のほうが「ふつう」だと。
   ◇
 今年のはじめ、文芸誌『すばる』で大江健三郎氏の沖縄の「集団自殺」裁判に関するエッセイを読み、私の中でもやもやしていた気持ちが一気に昇華したような気がした。
 大江氏の著作「沖縄ノート」を発行した出版社が、その著書で、終戦の年に沖縄で起きた住民の集団自殺を命じたとされる司令官の親族に名誉毀損で訴えられていて、その裁判で証人として出頭した大江氏が、原告との意識のずれを論じたそのエッセイは、歴史を意図的に改ざんしようとする日本人に対する悲憤にみちていた。
 この裁判が決着をみないうちに、日本の教科書では「沖縄では日本軍の命令で女、子どもを含む住民が集団自決をしたこともあった」という記述が消えていたという。沖縄という日本本土から離れた所で起きたことに対する本土の人たちの無関心が、沖縄の人たちをどれほど傷つけていることか。「ふつうの人」である本土の人たちにとって、沖縄の人はひどい目にあって気の毒だが、人ごとなのだ。戦後、ひどい戦場となり、本土決戦を遅らせる盾とされた沖縄は、やっと果たした本土復帰後も、日本人扱いされないで基地を抱えこんでいる。
 大江氏の悲憤は、裁判よりも平気でそういう「ふつうの日本人」の偽善と不勉強と想像力の欠如に向けられている。
 大江氏とは一度インタビューしたくらいで、それほどの面識はない。しかし、学生時代に作っていた同人誌に大江氏と同じ東大生だった芥川賞作家の柏原兵三氏がいて、いつも大江氏の話をしていた。私たちの世代は、1951年の朝鮮戦争勃発で消えた戦後民主主義教育の落とし子だった。
 小学生のときに軍国主義教育を受け、途中でいきなり民主主義教育に転換した。それは革命だった。それまでの天皇崇拝から一気に主権在民になり、日本国民はすべて新しい憲法のもとで基本的人権をもち、言論、表現、思想、信教の自由をもち、永久に戦争を放棄するということになった。
 私たちは毎日、教科書の軍国主義的記述の箇所を墨で塗りつぶした。その後は手にいれた自由を守ることに必死だった。学生運動、とくに60年代の安保条約改正反対デモは、成功しなかったが大きかった。
 大江氏は、こういう戦後教育の産んだ知識人で、だからこそノーベル賞に値したのだろう。
 戦争のすべてを何も知らない人に伝えるのは難しい。それを知るためには、自分が「ふつうの人」であることをやめ、想像力ですべてを再構築しなくてはならない。
 広島の平和公園にある「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という碑文は主語が分からないという歴史家がいるけれど、主語などあるかと、私たち戦後派は思う。それを想像するのが、理解の第一歩なのだと。