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 よみタイムについて
 
よみタイムVol.114 2009年6月5日発行号

 [其の31]

般若心経と嶋野栄道老師
262文字に現された仏陀の教え
映画「おくりびと」の原本読んで
老師に出会いお経の意味学ぶ

  アカデミーで映画賞を獲得した外国映画「おくりびと」の原作という「納棺夫日記」を読んだ。考えても答の出ない死を、気味悪いものとして遠ざけている人には、誰でも避けられない死の問題を考える入門書となるかもしれない。
 死体を納棺する仕事につき、毎日死者と接しているうちに、この本の著者は、物言わぬ死者の死の体験を考えるようになり、さまざまな宗教書や文学書を読む。宮沢賢治の詩、親鸞の教えに、生と死の境を超えた静謐(せいひつ)な世界をみつけ、死者を理解し、ひいては自分の生についてもはっきりと認識するようになる。
 この本を教えてくださったのは嶋野栄道老師。大菩薩禅堂金剛寺とニューヨーク禅堂正法寺の住職で、土曜会という毎月1回の日本人のための坐禅会を主宰し、仏教の教
典の解釈など講話をきかせてくださる。
 この本はそれなりに共感する部分があった。とくに、宮沢賢治の超自然的な世界観には。しかし私には、この本よりもっと前に「般若心経」体験があった。
 262文字に現わされた仏陀の教えを、嶋野老師は一字一字講釈して教えてくださった。目の前に見えるものだけが、聞こえる音だけが、触れるものだけが自分をとりまき、それらに支配され、一喜一憂していた自分がはっきり分り、それが消え、もっと大きな宇宙に溶け込み、見えなくなっていく。一字ごとに、宇宙がぐんぐん広がっていった。空が、今まで見たことがないほど深く澄みきって、大きく広く優しかった。
 この空の下で、今、私は塵ほどのものでもない。そしてどこから漂ってきたのか、いつどこへ消えていくのか、またどこからか現れてくるのか、まったくわからない。空がどこまでも深く澄んでいく。それまで気付かなかったこの世界のもうひとつの扉をそろそろ開いた時のその広大さ、明るさ、静けさ。私の心の世界は無限に広がった。
 それは、私の心の革命だった。
 当時、自分の居場所がないような危ない状態で、私は自信を失っていた。般若心経は、生も死もない、なにもない。なにもないということすらない、と説く。
 宮沢賢治は、風変わりな風の又三郎に出会ったり、へんなレストランで食べられそうになったり、星の世界を旅したり、そういうでくのぼうでいようとする。
 グランドキャニオンの深さ3千メートルの渓谷の突端の岩の上で、冥想している人がいた。谷の向こう側の岩壁に落ちた影が、太陽の動きにつれて刻々と動く。地球の素
顔を見ているようだった。その風景のなかで、男の座像は極小の置き物のようだった。
 石ころにも及ばない。あの男はあの小さな肉体に、複雑な心情、自我を抱えているのだろうか。彼がそこで風に吹き飛ばされて死んだとしても、この宇宙はびくともしないだろう。
 なにもしなくてもいい、考え方を変えるだけで、革命が起こる、智恵さえあれば。
 2500年前、人間を生老病死の苦しみから救おうと修行して、お釈迦様が会得した智恵が、人々を救う。考え方を変えるだけで、すべてが変わり、苦しみから解放される。この智恵は三蔵法師の苦しい旅と中国語への翻訳で伝えられ、賢い人たちによって日本にも伝えられた。
 それが今、ニューヨークの禅堂でも嶋野老師によって伝えられ、私たちを苦しみから救っている。
 ここで、こうして嶋野老師に出会い、それまでお経の意味など考えたこともなかったのに、般若心経を教えられたことは、少なくとも私の人生には一大事件だった。
 仏陀は紀元前数百年、中国の思想家老子もその頃、その後1世紀ほどの間にキリスト、マホメットなど、今でも人間の精神生活を支えている思想家、哲学者、宗教家のほ
とんどがこの頃に出現している。
 人類のピークはこの頃だったのかもしれない。その賢人たちの智恵に触れずに生きているとしたら残念だ。生きることの巧さを身につけることこそ、生存競争で勝ち抜く最上の手段だと思われるようになってから、私たちは、それ以外のことを見落としがちになった。暮らしの質を高めることは経済的成功と結びつき、カネにならない哲学や思想はふりむかれなくなった。芸術でさえカネに換算してほめられたりする。しかし嶋野老師が無償で授けてくださった仏の智恵のおかげで、一人のしがない人間の私もこれほどポジティブに変わった。偉大な智恵は大きな愛だ。
 月の地平線から地球が昇る映像を見たことがある。地球は美しく丸い形だった。あの丸い星の上にたくさんの境界線をひき、争奪戦をしたり、自分の所有権を主張したりしている害虫のような人類がいる。それにも私は向かって言いたい。そこにはなにもないのだ。みなが領土を取り合うこの美しい丸い星も、永遠ではないのだと。