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よみタイムVol.140 2010年7月2日発行号

 [其の43]

舞踏家・大野一雄

「わたしのお母さん」を踊る大野一雄 (Photo: N.Ikegami)
「手の舞踏」で宇宙との繋がり
「手」の美しさ晩年まで変わらず

マルシャンのパフォーマンス『TELEGRAM」(07年)の招待状。

 舞踏のシンボルともいえる大野一雄さんが亡くなった。103歳だった。
 大野さんの一番弟子というか、最も近い存在の「エイコ&コマ」のエイコさんからメールを受け取った時、なぜか、自然に受け入れられた。大野さんが高齢だったからではない。大野さんは、もう何十年も前から、生と死の境を取り払って、自由に行き来しているように思えていたからだ。
 「舞踊(ダンス)と舞踏(ブトー)は、どこが違うのか?」と、アメリカ人によく訊かれる。私は勝手に自分なりの解釈をして講釈する。「ダンスは外側から形を作る、ブトーは内側から形を作る」と。
 ダンスにも即興はあるかもしれないが、その基本の形はきまっているような気がする。でも、ブトーでは、踊る人さえどんな形になるのか予測できない。動きは、自分の人生、さらに祖先の人生、いや全人類が関わって決まるのではないだろうか。巫女のように。
 舞踏はなぜ人を魅了するのか。単にうまい、へたという問題でなく、観る人の内部がほじくられ、気づかなかった自分と出会わせられるからだと思う。誰でもみな、自分の背中、自分の恥部を、見ることなく死んでいく。まして、顔も知らない祖先のDNAが、自分の中で大手を振って自分を支配しているなどとは思えない。それに気づかせてくれるのが、ブトー。舞踏を観ると、だから悲しくなる。
 自分の暗黒をみせつけられる。
 大野さんと、それほど親密であったわけではない。しかし、何回か観た舞踏に惹かれ、私は、一方通行で勝手に大野さんに親近感を持っていた。
 それは「手」だった。長く骨張った、それでいてみみずのように自在に、微妙に、微かに、震えるように動く5本の指をもち、壊れた塀の縁を舐めるように這ったり、つかんだり、離れて天をさしたり、軟体動物のうごめきに似た大野さんの手。
 それは手の動きだけを、クローズアップで延々とカメラで追った長野千秋の映画「O氏の肖像」の一部だった。それは大野さんの「手の舞踏」ともいえるものだった。1970年ごろのことだった。
 それ以来、大野一雄というと、条件反射的に「手」を思うようになった。それどころか、バレエでもモダンダンスでも、密かに踊り手の手に知らず知らずのうちに注目してしまう。すばらしいダンサーの手の表情は、なぜかそれだけで独立したアートのように光っている。
 手は、身体の中で、一番優れた能力が備わっている部分なのではないかと思う。もしかすると脳よりも。 
 手は、いつも自分にもっとも身近な存在で、一番頼りがいのある秘書。あなたの秘密をすべてを記憶している。
 手は、あなたの人生のすべてのイベントの実行役で、あなたのアイディアの実現者だ。あなたの人生の出入り口であり、すべては手を通って外界とつながる。宇宙人ETの指先からも、不思議な光が出ていた。だれでも、さまざまなことを経験しながら一生を生きる。
 いいことばかりではない。むしろ、自分の人生を変えるのはいつも、不運、失敗、災害、欲にかられた衝動、気のゆるみ、でき心など、マイナス面のことが多い。あるいは後悔、恨み、慚愧、落ち込みなどと、身を苛むような内面での闘いもある。そこから再び立ち上がるには、膨大なエネルギーがいる。自力などでは不足だ。大きな宇宙の
エネルギーに助けられる以外に方法はない。それを可能にするのが手、指。
 3年ほど前、訪日したアメリカの映画作家ジョナス・メカスが、大野一雄の撮影をした。そのビデオを見て私は驚いた。メカスは、カウチに休んでいてほとんど動かない大野一雄の、手だけをクローズアップで撮っていた。そのすっかり力の抜けた美しい形をした手は、長野千秋が40年以上前に撮った手とそっくり
だった、いや、もっと瑞々しく、美しかった。
 「大野はもうほとんど動かず、眠っているようにみえたけれど、手に触れると、暖かく、柔らかく、自然に反応した。手は若々しく、脈打っていて、エネルギーにあふれていた」という。
 大野一雄の舞踏の動きには、手をさしのべて、外界の何かとコミュニケーションをもとうとする形がよく見られる。手は、彼のもっとも重要なメディアになっていた。手と指でエネルギーを取り入れ、宇宙とつながって動いていたのに違いない。