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 よみタイムについて
 
よみタイムVol.60 3月9日発行号

 [其の6]



コンピューターはまだなく、ピアノを使って作曲していた

1979年頃、ジャーナリストとしてカンボジアで。クメール・ルージュの兵士とも出会った

ジャック・ベカートのモザイク人生
作曲家、写真家など多才な顔を持つ
終戦後のベトナムでも活躍

 初めてジャック・べカートに出会ったのは67年の夏、イーストヴィレッジにあった巨大ディスコ、エレクトリックサーカスの中だった。一階はアンディ・ウォーホルの4時間の名作映画「チェルシーガールズ」の中に登場して、ヒップな若者の間では知らぬ人はなかったキャバレーのドム。映画の中では、ベルベットアンダーグランドが演奏し、サイケデリックなライトに横顔をアップされて、ニコが物憂そうに歌っていた。
 ベルギーから初めてニューヨークに来たばかりというジャックは、真っ白なスーツをきちっと身に付けた女性をつれて、傍観者のように立っていた。その夜、ここでコンサートをする作曲家が彼の友人で二人はそれを聴きに来ていた。私たち(夫と私)も同じ理由でそこにいた。
 現代音楽のカリスマ的作曲家ジョン・ケージ論をベルギーで発表したばかりというジャックに、私たちは強い興味を持った。ヨーロッパに来ることがあったら、ぜひブラッセルの自分のスタジオを訊ねてくれといわれたのは、ニューヨークで出会った異国人同士の人懐かしさのせいだったかもしれない。でも、どういうわけか、私たちは、ベルギーのジャックの住処をのこのこと訪れたのだ。69年の寒い冬だった。
 ジャックは自分のアパートに私たちを泊らせて、自分はどこか友人の所に転がりこんでいた。朝になると、どこかからやってくる。立派な石炭ストーブにベッドとテー
ブル。その上には、何本かのワインのボトルが家具のように載っている。
 「赤ワインをひと口いかが?」と彼は3つのグラスに注ぎ一緒に乾杯。
 「フルーツの香りが風のようにくるでしょう」
 そういう言葉がいかにもヨーロッパにいることを実感させ、私はその言葉に酔った。
 「ワインはそんなふうに水を飲むようにしないで、噛んで食べるようにして味わってー」。
 不調法な私たちは、ちょっとどぎまぎした。
 毎晩ブラッセルのバーでスペインのビールを、講釈をききながら彼の友人たちと飲んでいた。そんなある夜中、アパートの階段を上り、ドアをあけようと鍵をまわしたが、なかなか開かない。何回もガチャガチャやっているうちに、中から眠そうな女の人の声がした。あ、間違ったと思って、慌てて部屋のナンバーを見た。彼のアパート
は1階上だった。
 翌朝、起きると、ジャックが階段の掃除をしていた。ここに来たとたんに、待ち構えていた階下の人から文句を言われたらしい。彼はこっちを向いてウインクした。
 急な坂道の古い石畳の道は、彼の撒いた水で鈍く光っていた。
 毎日、ジャックはラジオ局に出かけていく。音楽番組のDJをしているのだ。一度、片言のフランス語でしゃべらされたことを恥ずかしく思い出す。新聞の国際問題のコ
ラムニストもしていた。「ニューヨークからアメリカの社会運動についての記事を送ったら、採用されて、それ以後、いろいろ書いている」という。当時のアメリカは黒人革命、ベトナム戦争、反体制運動などドラマチックな現象に溢れていた。
 作曲家の彼は、ベルギーではDJであり、ジャーナリストでもあった。
 いずれにしろ、私たちは若かった。それだけが取り柄で、いつも貧しかった。ジャックはその後何度もニューヨークに来たが、いつも運賃の安いアイスランディック航空を使う。
 ある時、帰りの航空券をなくした。いくら荷物を調べてもない。ここの切符は再発行ができなかった。彼は友人の家の電話から父親に先方払いで電話した。
 「パパ、とても困っているんだ。お金を送ってー!」。
 そういう声が聞こえた。しかし、彼の父親は、帰りたいのなら自分でなんとかしろと言ったと、彼は言った。「僕は15歳で作曲家を志し、スイスに留学したときから、親の援助を一切受けていない。その代わり自由だ」。
 作曲家として演奏活動も続けながら、雑誌、テレビの仕事が多くなり、79年にはカンボジアの紛争を取材するために初めてアジアに飛んだ。以後、クメールルージュの兵士の取材、シアヌーク殿下のインタビューなどで、タイとカンボジア、終戦
後のベトナムが彼のジャーナリストとしての舞台となり、BBCやバンコク・ポストなどのメディアに登場するようになった。その間、取材中に撮ったさまざまな写真の個展をベトナムやニューヨークで開催している。
 今、彼はタイに住み続けている。文明からわずかに切り取ったような澄み切った海辺に住み、インターネットで注文した世界中のワインを楽しむ。決して焦らず、周囲の素材を活かし、自分のペースで人生を築いていく。
 「美術館へ行っても、全部見ようと走り回ることはない。ひとつでも気に入ったものとゆっくり向き合えれば、それでいい」。
 生きることは、すべての人の行っている最も創造的な行為。ジャックを見ると人間すべてアーティストと思ってしまう。