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Vol.236:2014年8月15日号
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よみタイムVol.236 2014年8月15日発行
 
photo by Tokio Kuniyoshi
書道家・アーティスト
Maaya Wakasugi
「虹」のようでありたい。

書道家でありアーティストのMaaya Wakasugi(マーヤ・ワカスギ)。17歳で初個展を行い、「古代文字」をモチーフとした独自のスタイルを確立した。ロンドン大学での個展、パリのルーヴル美術館公認の関連NPOロゴマーク制作、アーティストやクリエーターへの作品提供とコラボ、パリ、ベルリンでのパフォーマンスなど、日本のみならず多くの国と地域で様々な表現を展開。タイ王室などにも作品を寄贈し、歌手マドンナも彼の作品を所有している。今年5月から7月下旬までニューヨークを訪問、台湾の襲園美術館で開催中の個展(8月2日〜10月13日)準備を行っていた。7月10日には、ニューヨークをベースに活動するバンド「コンピューター・マジック(Computer Magic)」とMoMAで共演し、即興パフォーマンスを披露。詰めかけた大勢のニューヨーカーに称賛された。Maayaはこの後1年間、フランスで活動する。


 書道を始めたのは小学生の頃。弟はすぐに辞めてしまったけれど、僕は「文字を書く」という強弱をつけた筆の動き「ブラッシュ・ストローク」が好きだったんだと思う。先生に褒められるのも嬉しかったし、好きな男の子もいたから余計に楽しかった(笑)。僕? 小さい頃から男子が好きだった。
 本格的に書道に目覚めたのは高校の頃。学校で音楽、美術、書道の選択があって、僕は書道を選んだ。
 ある日の授業中、先生から「あなた、ちょっとウチに(習いに)来たら?」と、突然スカウトされた。それが僕の最初の師匠で、世界的にも有名な書道家・赤塚暁月先生だった。
 赤塚先生の教えは本当に素晴らしかった。もちろん、基本的には「お手本通り」に書くことをマスターしなければならないが、同時に先生は、自由に創作する時間を与えてくれた。「好きなものを1枚、書いておいで」と言われた時、僕は好きな人の名前ばかり書いた(笑)。でも、その時、気がついた。「好きな人の名前を文字にする」という行為が、心の在り方を変える、はっきりと。
 そんな多感な高校時代、僕は、ゲイであることを変えることはできないし、ゲイとしてのありのままの自分を生きなくちゃいけないと思っていた。でも周囲のことも氣になるし、これからどうなるのかも心配。
 「将来、社会的に、発言権を持てるようになるには『武器』を持たないといけない」
 僕が尊敬する歌手・マドンナの言葉を知った時、「僕の武器は……書道だ」と感じた。加えて、元々「でしゃばり」な性格だったから「それなら実力を試してみたい!」と、17歳の時、個展を開催した。これが思った以上に好評で「あら、僕ってイケてる?」(笑)。
 それでもまだ、アーティストとして書道一本でやっていく自信はなかった。もちろん書道は好きだったけれど、アートやファッション…とにかく、いろんなことに興味があった。
 そうして、高校3年まで楽しく書道をやっていた時、いきなり赤塚先生から「若杉くん。もう来なくていいから」と言われて、驚いたのなんのって…。
 「え? どうして? 僕は先生のことが好きだし、先生の書風も好きだから、やめたくないです!」
 「でも、これ以上、私と一緒にいると、私の字が移るからやめた方がいい。もう基礎は教えたから」
 あなたは男の子だから、大学では男の先生につきなさい、とアドバイスをくれた。

 普通、書道は、「師匠となる先生のお手本通りに書く」ことが良しとされる世界。展覧会などで審査委員長を務める高名な先生の弟子ともなれば尚更だ。「師匠の文字を書く」ということは、段も上がるし、級もあがる。肩書きがどんどん付いて、自然と道が開かれていく…そういう世界だった。
 大学時代、そんな世界を垣間みて、「あ、インチキだな」って思った。昨年、日展審査の書道部門で不正があったことを、朝日新聞がスクープ。 今では、どんどんウミが出ている。
 でも大学時代に閉鎖的な社会を見たことも、僕にとっては貴重な体験だった。
 今、僕は自由でいい。

 ある日のこと。一人の占い師から「あなたの人生はこれから60年間、ゴミ箱です」と言われた。落ち込んでいたところを、更にバッサリと刀で斬り落とされた氣分(笑)。
 「九星氣学風水」に出会ったのは、そんな頃。「攻めの開運法」と言われ、人生ずっと絶好調も絶不調もない。太陽が昇って沈むのと同じで、サイクルがありバイオリズムがあるだけ。氣学では9年サイクルで「波が」あり、自分の「波」をどこに持ってくるかで運氣が変わる。それから僕は氣学にはまり、先生について勉強した。
 芸術的なもの、アートや感性などは「目に見えない世界」だ。未来が見える人なんて誰もいない。そんな明日が見えない世界の中で、僕のひとつの「目安」として氣学がある。そこからはトントン拍子。人生が変わったと感じ、本当に出会えてよかったと感謝している。
 僕が「書道家」一本でやっていこうと決心したのは、実はつい最近、2011年の東日本大震災がきっかけだった。平穏な日常、明日も同じ日が来ると信じていた人々を襲った突然の悲劇。明日、いや、たった10分後だって、どうなるかわからない…と考えた時、「やりたいことをやってから死にたい」と思った。

 「心」という文字は、心臓の形、ハートの形をしている。時代によって、いろんな形のハートがあるし、それが右心房なのか左心房なのかはわからないけれど、可愛いビジュアルが多くて好きだ。その時代に生きていた人々のバイブレーションやエネルギーを瞬間的に捉えたもの、それが「文字」という形になって現れる。
 生まれてからこれまで、一度だけ「呪い」という作品を書いたことがある。僕自身、かなりダメージを受けていた頃だ。それを写真に撮って、あるヒーラーの先生に見せた。パッと目には読めない程、デフォルメさせて書いたにもかかわらず、その先生から「痛いから見たくない」と言われた。
 例え読めなくても、そのバイブレーションは伝わる。メッセージは「言霊」だ。
 僕の書く作品は、「絵」なのか、それとも「文字」なのか、と聞かれることがある。僕の中での土台は「文字」だけれど、僕自身、それを制限したくないと思う。その「瞬間」に感じたこと、記憶に残ったもの、パッションや想い…それが僕を通して形になる。絵でもいいし、文字でもいい。絵でなくてもいいし、文字でなくてもいい。それが、僕が書きたい「書」だから。

 書道というのは「形の美」と「線の美」。「形」を真似することが出来れば、誰でも奇麗に書くことが出来る。一方、「線」には、その人の生き方や心が反映されるため「書は人なり」と言われている。赤塚先生は「自分の名前を書く時は、特に丁寧に書いて」と言っていたが、それは「自分を書く」ことになるから。心がけひとつで「書く瞬間」が変化する。「心の記録」を解放させ、僕なりの「線」が書けた時にやっと、「あ、できた!」と感じることができる。

 今の自分を「一文字」で
 表現するとしたら?

 「虹」かな。
 ゲイのシンボルとも言える「レインボー・フラッグ」は、ひとつの旗に異なる色が共存する「多様性」だ。それはセクシャリティだけに限らず、誰でも自由に「自分の色」を表現して、自分らしく生きていこうよ、ということ。隣に違う色があるからこそ、世界は時に切なく、楽しく、美しい。
 「書は一生の稽古なり」と赤塚先生から教わった。10年後、「今の自分を一文字で表現するとしたら?」と聞かれたら、なんと応えるのだろう?
 いずれにしても僕は、「虹」のようにボーダレスでありながら、「書」を通して進化し続けたいと思う。
(Maaya Wakasugi)


MoMAでパフォーマンスを披露するMaaya (Photo by Takuya Katsumura)