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よみタイムVol.127 2009年12月25日号掲載
 
DJ 岩原 賢

日本人の職人的細かさ発揮
夢は世界に通用するDJに

 DJは、会場の一番目立つところで、スポットライトを浴びながら選曲や編曲、時に映像を駆使して場を盛り上げていく。DJの個性が強烈に要求されるため、業界の競争は熾烈だ。
 人気はすぐに仕事に響き少しでも評価が下がれば仕事は来ない。人気DJにはクラブやウエアハウスからの予約が集中する。
 岩原賢は今、ニューヨークで人気上昇中。定期的に出ているサリバン・ルームでは「ドリーム・キャッチャー」というチームを3人で組んで人気を集めている。またちょうどこの季節、企業のダンスパーティーからDJを頼まれることも多いという。
 大事なことは依頼主の傾向や好みを的確に把握して準備することだ。音楽に偏りがあるとDJは務まらないという。
 「本来どんなリクエストにも応えられなくてはいけない幅広さが要求されるんです」。

 DJKenこと岩原 賢はニューヨーク生まれのニューヨーク育ちの27歳。DJの世界を確実なステップでさらに上を目指して登っている。
 定期的に出演しているのは主に「Sullivan Room」「Pacha, Exit」「Webster Hall」など名だたるダンスミュージック・シーンだ。また、マンハッタンばかりでなくブルックリンやクイーンズなどに点在するクラブから声がかかれば出かけていく。
 「9・11」以降法律の規制が厳しくなりクラブの営業は朝4時まで、一方プライベートパーティー的な要素の濃いロフトなどでは翌日の昼まで、などということも少なくないという。
 大学を卒業したばかり。「少し回り道をし過ぎましたね」と笑う。大学ではアート・マネジメントを専攻して資格も取得した。日本語はアメリカ生まれとは思えないほど丁寧でなめらか。「母の厳しい躾の成果です」なのだそうだ。
 音楽との最初の接点は6歳のころから始めたクラシックのピアノ、高校まで続けた。「大学に入るまではヒップホップやロックなどを聴いてたんですが、当時交際していた年上のガールフレンドからエレクロニック・ダンスミュージックの世界を教えられたんです」。
 「エレクトロニック・ダンスミュージックというのは電子音で作った音楽で、テクノ、ハウス、トランスなどのジャンルがある」という。
 その後DJだったルームメイトから強い影響を受け、05年にTSUNAMI(イスラエルとニューヨークを拠点に活動してトランス・ミュージックを世界に広めたレーベル)でDJキャリアの活動を開始した。
 岩原賢と同じように、サイケデリック・トランスのミュージックシーンで活躍する日本人はニューヨークでは3人しかいないという。「競争の厳しい世界ですけど、感性という意味ではアメリカ人は強い。だけど日本人には音作りやシーン全体の構成で発揮する職人的なきめ細かさがある。日本人の良さを生かしたDJで特徴を出したい」と自信をのぞかせる。
 「憧れるのはラリー・リーヴァン、ジェフ・ミルズ、ケンジ・ウィリアムズなどですね」。
 アメリカのエレクトロニック・ミュージックのイベントではトップ・スリーに入る「ウルトラ・マイアミ・コンフェレンス」という大会が3月に開催される。今、出場を真剣に検討中だ。世界中からDJが集まってくる大きな祭典で、ステップアップのためには強力なバネになる。
 また、DJの仕事とは別に毎年夏、長野県松本市で開催される小澤征爾総監督率いるサイトウ・キネン・フェスティバルにもマネジメントで参加している。今年は日本との行き来もさらに増えそうだという。
 体力も要求されるDJ、スタミナの源は「和食大好きなんで朝から大好きな白いご飯をしっかり食べることですかねえ」とアメリカ生まれの若きサムライDJは腕を撫した。
(塩田眞実記者)