日本在住の染色アーチスト、山本喜代子の染めの世界「熱帯の花シリーズ」が6月5日(火)から16日(土)までチェルシーの画廊「セイラム・ギャラリー」で開催される。7日(木)午後6時からのレセプションには山本も出席するほか、琵琶奏者の鎌田薫水の演奏やクラシックの室内楽アンサンブルも彩りを添える。入場無料。
「結実の時 バナナ」 サイズ2700mmX630mm
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作品はどれも大胆な構図だ。バナナの花やソテツの実、ヒスイカズラなど南国の青空の下で力強く花咲き結実する植物が山本作品のモチーフである。もともと、妖しいほどの形と原色と生命力を誇る花々が、どちらかというと淡彩で落ち着いた色調の中で、まるで心の奥底を覗いているような澄み切った風景を見るものに伝えてくる。
布地に染められた南国の花々は透明感のある不思議な心象風景でもあるかのようだ。大きな作品になると長さ2・5メートル、幅1・2メートルほどもある。今回の展覧会のように、大小さまざまな作品30点に囲まれると、作品の存在感に息を呑むことになるだろう。
山本は、1944年に5人兄弟の長女として福岡県八幡市(現・北九州市)に生まれた。もの心ついた頃には絵画への頭角を現し、小学校に上がってからのめり込んだ油絵では市展や県展の賞を次々とさらった。書道家で南画もたしなんだ母と、柳原白蓮とも親交のあった歌人で選者でもあった祖父の影響なのだろうか。
64年油絵で初入選。21歳で東京へ出ると、朝日油絵コンクール、美術家連盟展など次々に入選し活躍を続ける。一旦、福岡に戻った時、呉服店の勧めで染色の道に入る。
染色には糸目友禅・ろうけつ染、素描き染、その他いろいろあるが、当時の山本は素描き作家だった。「素描きは失敗は許されません。全神経を集中させて描くんです。一心不乱で命を削る思いでした」と独特のゆったりとしたリズムで話す。今でも、東京と福岡で主宰する染色教室では、この素描きを教えている。
後にたどり着いた友禅とロウケツ染めの結合は、あくまでも自分を表現する自分の作品を制作する時にだけに使う技法だという。
73年には日本手描作家協会会員、翌年理事に就任。弟子を取らないことで有名だったロウケツ染め作家田中稔氏を説得して師事。それまでのロウケツ染めとはまるで違う透明感あふれる世界に魅了された。その後、池袋で偶然目にした「東京友禅」の美しさに目を奪われる。この出会いがやがて独特の作風、友禅とロウケツの融合に結びつく。
89年には、西ドイツで開かれた「ジャパン・ウィーク」に招かれ、ラステーデ城内で着物と帯の個展を開き大歓迎を受けた。その後しばらく心の病と闘った。
「長くて暗いトンネルの中にいるようでした。外にも出られずからだも精神もどん底だった。10年続きましたね。ある時、家族が無理やり連れ出してくれた旅先のサイパンで出会った南国の花。光に満ち力強く咲く熱帯の花と出会ってから、ようやく抜け出せそうな予感がしたのです」。
それからは、沖縄、ハワイ、シンガポールまで足を伸ばして熱帯の花々をスケッチした。「旅に出られない時でも、急に思い立ち花との出会いを求め、新宿御苑の温室や郊外の植物園に出向きました。花からのメッセージは強烈でした。私の上に何かが降りてきたように、花(線)が描ける。構図が降るように湧いてくる。ああ、これで生きていけると確信しました。そしたら不思議にトンネルを抜け出すことが出来たのです」。熱帯の花々であっても山本喜代子のフィルターを通すと、天真爛漫にただ明るく強烈というわけではない。自身の心の内が花に投影され影となり、染めという手法を通して布地に焼き付けられた思いそのものなのだ。
04年に出版された画集・山本喜代子 染めの世界「何処へ」の巻頭に、女優・壇ふみ氏が「悲しい人だけ見える」という一文を寄せている。悲しい人、悲しさを通過した人にだけ見える美しい世界が山本作品には閉じ込められている、という意味だろうか。
(塩田眞実記者)
6月5日(火)〜16日(土)
セイラム・ギャラリー
Caelum Gallery
526 W. 26th St., Suite 315
(Bet 10 & 11Ave)
Tel: 212-924-4161
www.caelumgallery.com
日本語問合せ:917-864-6781(塩田まで)
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