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よみタイムVol.92 2008年7月4日号掲載
 

レコーディングスタジオのオーナーであり、レコーディング・エンジニアのジム・クロースと
ジャズピアニスト 池田みどり

「医療と音楽がNYで結びついた」
CD売上の一部はジャムズネットに寄付

 「医療ピアニスト」という、新しい音楽分野をニューヨークで作ってしまった女性、とでも言おうか。今年4月から、3か月の予定でニューヨークに滞在しているジャズピアニスト、池田みどり。「ニューヨークで自分のやりたいことを見つけることができた」と、帰国を直前に晴々とした表情で語った。
 当初の目的だったCDのレコーディングだけでなく、滞在中、日系社会の医療コミュニティーにピアニストとして貢献する機会を得たことは、意外なハプニングでもあり、同時に大きな収穫だった。ピアニストとしての自分と、死と直面した闘病体験という、プライベートな自分が、ぴったり結びついたのだ。

死を意識し書いた自伝

 20年ほど前、ピアノ弾きとして、ホテルのロビーやライブハウスで演奏し、時には歌も歌っていた頃、「運動ニューロン疾患」と診断された。正式名を「筋萎縮性側索硬化症」といい、文字通り筋肉が次第に萎縮していく病気だ。
 原因不明、治療方法もない難病で、進行すると呼吸筋も麻痺し死亡する。当時、本人には病名が知らされず、家族が隠すがために、逆に「死」を意識した。発病からの半生は、著書「神様にはプランがある――ピアノ弾きの夢」(カゼット出版)に綴られている。
 やっと病名を知ったのは、離婚を機に夫から告げられた時だった。「病気に押しつぶされそうになった時、勇気を与えてくれたのが音楽でした」。病名を知ってから強くなったという池田は、10年のブランクの後、ピアノのキャリアを再開する決意をする。
 この疾患の症状が出ているのは唯一、右手の親指の付け根だ。そこの筋肉が欠けたようにない。著書を執筆するに当たり「事実を確認しなければ」と再検査を決意。結果は、「進行が見られない軽度の運動ニューロン疾患」だった。
 両手を合わせると、左右の手の開き幅が目に見えて違う。「でも、ピアノを弾くには問題ないんです」。

扉をたたけば門は開く

 今年「全財産をはたいて」ニューヨークに来る決心をしたのは、音楽修行のためだった。ところが「扉をたたけば門は開く」と池田が著書に書くように、ニューヨークに来ると決めたら、おもしろいようにいろんなことが連鎖し始めた。
 ニューヨーク在住のピアニスト、百々(どど)徹の大ファン。東京のライブを聴きに行ったことがきっかけで、ニューヨークでのレコーディングも、百々がアレンジから音楽監督まで引き受けてくれた。
 おかげで「一流の演奏家とレコーディングできました。みんな一生懸命やってくれて、とてもいいものができたと思います」と満足そう。10曲中7曲が池田のオリジナルというこのCDは、弦・管・打楽器など総勢9人という大所帯だ。
 さらには、知人の紹介で、邦人医療支援ネットワーク(ジャムズネット)にかかわることになり、ニューヨークで活躍する多くの日本人医療関係者とも知り合うことがきた。日系人会で5月行われたヘルスウイークにも、ピアニストとして参加し、得意の「美腰エクササイズ」「古武術身体操作術」も指導。ブロンクスの市立病院では患者のためにコンサートも開いた。
 CDジャケットのデザインには、この病院でアートセラピーを受けていた患者の作品を、採用するつもりだという。
 医療と音楽。この二つがニューヨークで結びついた。
 「日本に帰って、ジャズピアノで有名になろうとか、コマーシャルな野望は持っていません。演奏するなら、病院や介護施設を回りたい」とはっきり言う。「ニューヨークで出会った医療関係者、音楽関係者とのネットワークを日本で広げ、音楽にもつなげていきたい」。
 現在CDのミキシング中で、発売元も決まっていないが、売り上げの一部をジャムズネットに寄付することにしている。    
(吉)