2023年6月9日号 Vol.447

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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注目集めたG7広島サミットで
日本、世界を主導

広島を訪問したゼレンスキー大統領(左)と岸田首相(5月21日撮影)(Photo @JPN_PMO / PM's Office of Japan)

5月19日から21日まで広島で先進国首脳会議G7サミットが開かれた。

1975年にパリ郊外ランブイエ城で初会合してから49回目。半世紀を経るうちに、年中行事化・形骸化が言われて久しく、20回以上を現地取材してきた私にも、そろそろ役割を終えたのでは、と思わせることが多くなっていたが、今回は俄然、世界の注目を集めることとなった。

要因の一つは、核兵器の拡散と実戦使用が現実の懸念となっている折、最初に原子爆弾が投下されたヒロシマが会場になったこと。

日本が議長国を務めるのは7回目で、79・86・93年は東京、以後2000年に沖縄、08年に北海道の洞爺湖、16年に伊勢志摩で開かれてきた。それらはいわば「平時のサミット」だったが、今回は違う。ロシアのウクライナ侵攻に加えて、覇権主義的拡張を進める中国の行動が際立ち、台湾有事さえ懸念される状況下にある。中露が一体となり差し迫った挑戦を仕掛けている「非常時」に、岸田文雄首相は自らの選挙区のある広島を開催地に選び、その地から平和と協調、核兵器不拡散に向けた発信をしようと、並々ならぬ意欲を燃やした。政権の不人気を挽回する起爆剤にする意図も明確だった。

二つ目には、outreachと呼ばれるG7以外の出席国に、このところ日本との協調が目立っているオーストラリアと韓国の他に、インド、ブラジル、インドネシア、ベトナムとアフリカ連合の議長国コモロ、太平洋諸島フォーラムの議長国クック諸島を招いた。自由と民主主義の西側先進国に対抗する専制国家の中国とロシア、そのどちらにも組せず、実利を求め全方位で目配りする「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国に、先進国側の価値観と論理・政策の浸透を試みたこと。

三つ目には、実はこれが一番大きかったのだが、ロシアに侵攻され戦いが2年目に入っているウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が生身で出席したことである。

サミット直後の23日付読売新聞は1面トップの検証記事に<ゼレンスキー氏招待「賭け」<の見出しを掲げ、ウクライナ大統領を迎えたことで、「揺らぐ国際秩序に結束して対処する決意を示す舞台となった」と書いた。読み進むと、ゼレンスキー大統領の出席でサミットが「占拠」されるリスクを考慮すれば、対面参加の実行は、議長国日本にとって大きな「賭け」だった、という。事実、今回サミットはゼレンスキー大統領の圧倒的な存在感に「占拠」された感が深かった。

対面参加を持ちかけたのはウクライナ側で、日本政府が打診を受けたのは、岸田首相のキーウ電撃訪問から数週間経った4月末頃だったという。ウクライナ側はロシア制裁に加わっていないインド、ブラジルなどの首脳が招待されるヒロシマを、支援を呼びかける好機と判断した上での提案だった。岸田首相は「リスクは引き受ける」と招待を決断、警備体制などの練り直しを指示する一方、G7諸国との調整にも入った。さらにG7以外の招待8ヵ国にも説明し了解をとった、とされる。

現場にも行かず、ネット情報を主に事態の推移を観察していた私が、「ゼレンスキー来日」の情報が流れているのを知ったのは、各国首脳が到着する前日の18日午後だった。急ぎ日程を調べると、ゼレンスキー大統領が、19日にサウジアラビアのジッダで開催されるアラブ連盟首脳会議に出席することを知った。アラブ連盟といえば、イスラムを信奉するアラブ世界の政治的協力機構で、「親露」に近い国も少なくない。しかも、内戦の勃発で連盟参加国の資格を停止されていたシリアが、13年ぶりに資格を回復してアサド大統領が出席するという。アサドと言えば、プーチンに最も近い国家元首の一人だ。いわば「敵」の真っ只中に敢えて飛び込み、真情を訴えようとするゼレンスキー大統領の勇気と情熱に圧倒される思いがした。さらに調べると、ジッダへの移動の便を引き受けたのがフランス政府で、政府専用機を提供したことも知った。

「これは日本にも来る」――確信に近い納得をした。翌19日昼頃にはCNNと日本のメディア各社も「ゼレンスキー来日」の速報を一斉に流し始めた。

さらに一夜が明けて20日午後3時30分、広島空港にフランス政府専用機が着陸。そこからの約50キロは、日本政府が防弾仕様のBMWハイセキュリティを用意して、ロシアによる侵攻開始以来、繰り返し核攻撃の威嚇を受けているウクライナの大統領が、被爆地ヒロシマの土を踏んだのだった。
G7は開幕冒頭の19日に「ウクライナに関する首脳声明」を採択していたが、21日午前にもウクライナ討議の場を再び設け、それに続く招待国を交えた協議にもゼレンスキー大統領の出席を認めた。議長国日本と、最大の支援国アメリカに囲まれた姿は、まさに「主役」と言えた。G7諸国首脳はもとより、インド、インドネシア、韓国などとも個別の首脳会談に臨み、支援の強化・継続への展望を開いた。対ロシア経済制裁に加担を拒否しているインドのナレンドラ・モディ首相との会談では、「私個人も含めて、戦争解決に向けてできることは何でもする」という温かい言葉を引き出した。

インドよりさらに強硬で、「サミットは戦争について語る場ではない、ウクライナについては国連で話し合うべきだ」と主張していたブラジルのルラ・ダ・シルバ大統領とは会わなかったが、ルラ氏は閉幕後の記者会見で「21日午後3時15分からゼレンスキー氏と2国間会談する予定で待っていたが、彼は姿を見せなかった。彼は大人だ。来られなかったのは別の理由があったのだろう」と述べていた。真相はむろん明らかではない。

閉幕直後には被爆の状況を展示する平和記念資料館を視察、岸田首相と原爆死没者慰霊碑に献花黙祷を捧げた。約30時間の滞在中、分刻みの日程を精力的にこなし、疲れも知らぬげに見えるヴァイタリティには脱帽するのみであった。

閉幕後、23日付けウオールストリート・ジャーナル紙が、国際面に「As G-7 Host, Japan Schools the World=議長国日本、世界を主導」の見出しで、「G7サミットは、すぐ忘れられる空虚なイベントが大半だったが、世界で緊張が高まる中、日本が新たな緊迫感に目覚めた。岸田首相は議長国として重要な真実を強調することを決意し、その目標を達成した。ヒロシマの成功は、岸田氏個人の勝利であったと同時に、世界的な危機への協調を導く道標となった」と激賞するコラムを載せた。

岸田政権発足以来、評価するより批判することの多かった私としても、サミットに関する限りは「良くやった」と言わざるを得ない。「巨額の血税を使った自分の選挙区への利益誘導」という批判は拭えないにしても、である。

一方、バイデン大統領の存在感は薄かった。連邦政府の債務上限の引き上げをめぐる共和党との交渉が難航して出席自体が危ぶまれた中、来るには来たものの、初日の夕食会から途中退席したほか、会議を中座することが何度かあったという。

欧州同盟国がウクライナに戦闘機F16を供与するのを容認する決断を下し、軍事支援の追加も約束はしたが、先頭に立って議論を主導する姿勢は見えなかった。閉幕後の記者会見でも、G7の結束を繰り返し強調しただけに終わった。

「老い」の気配も濃厚だった。上記の会見で岸田首相を2度も「President Kishida」と言い違えた。19日の日米首脳会談の冒頭発言でも、首相への呼びかけに際し、「 Mr. President」とやっているのがハッキリ聞き取れた。再選への挑戦はやめた方が良い。


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