ニューヨーク・イベント情報 

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男

[Detail, 4]
復興遂げた日本の光と影


ちょうど半世紀前になる1970年。この年は、大阪千里丘陵で日本初の万国博が開かれた。東京発祥の読売新聞も1952年に大阪読売新聞を発刊して、大阪発祥の朝日、毎日を追撃し、遜色のない部数にまで伸ばしていたが、東京本社にいる私たちからすると、「大阪は後発」の思いが強く、(続きを読む)

[Detail, 3]
社会部国際班で手掛けた
世紀の大事業「月面着陸」報道


1960年代、私が在籍した当時の読売新聞社内では「社会部帝国主義」という言葉が囁かれ、社会部員の多くが肩で風を切るように闊歩。政治・経済・外報など他の取材部を圧倒する迫力があった。(続きを読む)

[Detail, 2]
インクに塗れた日々、サツまわり、
「英語屋」と駆り出された密着取材


1964年のオリンピック東京大会が終わって程なく、私の運動部での勤務が終わり、地方版紙面の割付作業をする「整理」という仕事が与えられた。今でこそ新聞制作はコンピューターを駆使した机上作業で進められるが、当時は活版印刷の時代。(続きを読む)

[Detail, 1]
私のジャーナリスト人生は
「不幸にして…」から始まった。


2020年がやってくる。私にとって意味があるのは、新聞社入社3年目で幅広い取材に携わったオリンピック東京大会が再び開催されること、そして、国際報道と本格的に関わった1970年から半世紀を迎えることである。(続きを読む)


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