2023年11月10日号 Vol.458

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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デジタル社会の到来
第二次産業革命に乗り遅れた日本

1990年代に始まったインターネットとPC=パーソナル・コンピューターの急速な普及は、人々の暮らしから地域社会、国家、国際関係のありよう、そして世界中のさまざまな慣行に至るまで大きな変化をもたらした。経済にもむろん及んで「第二次産業革命」とも呼ばれた。

それを推進した主役は、コンピューター同士をつないで相互通信を可能にしたインターネットであり、そのスピードである。

私たちの暮らしの周辺では、音速(毎秒340メートル)を超えることさえ驚異に近かったのが、光の速さ(同約30万キロ)が、いとも簡単に入り込んできた。それに対応してPCは演算速度と記憶容量を飛躍的に拡大して行く。これがまた速かった。

日本には14世紀の南北朝期に書かれた曽我物語に「光陰矢の如し」とする記述はあったが、それはあくまで例えの話である。それが突如、日常の暮らしの現実になった。つい10年前には想像もしなかった時代の到来であり、その後も文字通り「日進月歩」の日々が続いた。

人々の思考経路が変わる。創造力と想像力が変わる。「アナログ」と「デジタル」という言葉が対比的に使われるようになり、PCやインターネットを使わなかった時代を「アナログの時代」と呼び、使えない人、使いたがらない人を「アナログ人間」と呼ぶようになった。一方で「デジタル化=DX」は典型化され、時代の要請として広く求められるようになった。

広辞苑で「アナログ」を引くと、「ある量またはデータを、連続的に変化し得る物理量(電圧・電流など)で表現すること」とあり、「比喩的に物事を割り切って考えないこと。―人間」とも付記されている。「デジタル」は、「ある量またはデータを、有限桁の数字列(例えば2進数)として表現すること」とある。IT用語辞典バイナリには、「日常身の回りに存在する音や映像はアナログ(量)として扱われるが、これを記録したり伝達したりする手段としてデジタル(数)に置き替えて処理することによって多くのメリットが得られる」とあり、量を数に置き換えるのがデジタル化の基本であるようだ。

こうして私たちの生活に、2進法を計算の基礎として演算速度を革命的に速めたコンピューターと、それをフルスピードで接続する高速インターネットがズカズカと音を立てるように入り込んできた。

90年代末には、消費者との双方向通信を大量処理することによる「電子商取引」が登場、ネット上で買い物ができるようになる。ヒトとヒトが相対で行うことを長く基本としてきた商取引を根本から揺さぶる事態で、経済の仕組みそのものが変わったのであった。

人間の経済活動は、ヒトが知恵と労働で生み出したモノを、さらなる知恵と労働を使って売りさばいて代価としてのカネを得る……そうして「利益」が生まれる……というものだった。つまりヒトが働いてモノを作り、それを売ってカネを得る。

ところがインターネットの世の中になって、モノだけでなく、カネ自体も取引されるようになった。資産運用への活用が盛んに行われるようになったからである。カネが働いてカネを得るという新たな図式……時間と労働力を使わずに収入を得ることが可能になったとも言える。ヒト、モノ、カネの関係に重大な変化が生じたのである。

この動きは、冷戦終結で社会主義という理念が過去のものとなり、「市場原理」が経済の基本理念として世界中に広がって行く「グローバル化」と時を同じくした。インターネットのスピードは、このグローバル化という「全地球化」の進展も加速した。かつてない広がりである。しかも、そのスピードは人々の想像を超えて速かった。

市場原理と言ったが、その市場自体も激動に見舞われる。

製造業や物品販売といった既存業種を押しのけて、IT(情報技術)やICT(情報通信技術)と呼ばれる新たな業種が生まれ、投資家から集めた資金で開業まもない有望企業を育てるヴェンチュア・キャピタルが全盛となり、創業したばかりの企業を急成長させ、株式市場にも続々参入(新規上場)して経済全体を活性化した。この波はアメリカでとくに顕著で、ネット上の識別名から社名にも頻用された「.com」から「ドットコム・バブル」と呼ばれた(日本では「ITバブル」)。

テクノロジー関連の新鋭企業が集中するNASDAQ市場の株価指数は95年からピークを迎えた2000年3月の間に800%も上昇した。96年を通して1000前後で推移していた同市場の総合指数が、98年9月に1500、99年1月には2000を突破、00年3月10日には5048まで急騰したのだった(バブルがはじけた後の下げ足も速く、02年10月までの30ヵ月で740%下落)。

バブルで踊ったのは、大学を出たばかりのエンジニアやヴェンチュア起業家たちで、アイデアさえ良ければ、事業計画書を配るだけで巨額の資金を集められたという。そして、彼らの多くが蝟集したのがシリコン・バレーだった。

カリフォルニア州のサンフランシスコ・ベイエリアから南に下がった地域で、中心都市はサンノゼ。新聞記者だった70年代前半に日系2世のノーマン・ミネタ市長(のち連邦下院議員、商務長官、運輸長官など歴任)を訪ねたときは、同市長が発展に着手していたとは言え、まだ鄙びた地方都市の印象が濃かったが、90年代後半に再訪した時には一変していた(2020年には全米10番目の百万都市の仲間入りをしたが、現在は百万を割り込んでいる)。

アップルはじめ、グーグル(現アルファベット社の子会社)、フェイスブック(メタ)、ヤフー、インテル、ナショナル・セミコンダクター、シスコシステムズ……半導体企業を基幹に、ソフトウエアとインターネットの革新で名を上げた企業がズラリ顔を揃えていた。21世紀に入ってからは、電動自動車を急成長させたテスラもこの地に本拠を構えたが、住宅価格の急騰などで住みにくくなったとして、テキサス州に移転した。

バブル景気にも発展したこの革命的現象は、無数の億万長者を生み出した一方で、インターネットを駆使するマネーゲームに参加できなかった人々(数的には圧倒的に多かった)は、まさに「蚊帳の外」に置き去りにされて貧富格差が極端に拡大した。

国レベルでも、デジタル化とグローバル化にいち早く対応した小国が大きく成長した。欧州ではアイルランド、アイスランド、ルクセンブルグ、アジアではシンガポールなどで一人当たりのGDPが急上昇した。中国も、グローバル化による生産拠点の再配分で先進国の製造業が競い合うように進出し、「世界の製造基地」となる恩恵を受けた。2010年にはGDPで日本を追い抜き繁栄を謳歌する。1968年以来の「世界第2位の経済大国」の座をあけ渡した日本は、2023年にはドイツにも55年ぶりに逆転されて世界4位に転落した。

日米半導体摩擦でアメリカの圧力を受けた結果、圧倒的だった世界シェアの大半を失い、バブル景気がはじけた後始末にも失敗して、グローバル化・デジタル化の波にも乗り遅れ、長い沈滞の底に沈んだ。その要因は、多くの政権の無策に加えて無気力極まりなかった企業ガヴァナンスに帰せられる。(つづく)
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