実際の建国までには時間を要した。独立宣言翌年に最初の憲法というべき「Articles of Confederation and Perpetual Union=連合規約」ができたが、西部の領土権を巡って13植民地(邦)が対立し、81年3月の批准までに4年近い歳月を要した。この規約で初めて「United States of America」という連邦国家の名称が決まり、第2条で「各邦(州)は主権・自由・独立と、この規約が明文で連邦会議に委任していないすべての権限・管轄権・権利を保有する」と規定した。つまり、主権が存するのは、あくまで後に「州」と呼ばれる各植民地であって、連邦はそれらの緩い連合体でしかない、ということである。
さらに、州ごとの大統領選挙人は、その州の有権者が1票でも多く投票した候補が総取りする「winner take all方式」がとられる。現在、メイン、ネブラスカ両州が下院選挙区ごとに選挙人を選んでいる他は、48州がすべて総取りである。この方式では、一般投票でいちばん得票の多かった候補が、州ごとの選挙人獲得数が多かった候補に負けるという事態が生じ得る。
初代ジョージ・ワシントンは1789年2月4日に行われた選挙で全選挙人を獲得し、同年4月30日に就任したのであった。
東部時間午後8時ごろ、メディア各社がフロリダでの「ゴア当確」を報じたが、間も無く取り消された。翌日未明になって、今度は「ブッシュ当確」が伝えられ、敗北と判断したゴアがブッシュに祝福の電話を入れる場面もあったが、発表されたフロリダの得票差は1784票。同州法で再集計が求められる0・5%未満で、「too close to call=決定には僅差すぎる」だったため、ゴアは祝電を取り消し、票の数え直しが始まった。まず規定に従い機械による再集計が行われ、差は1000票程度に縮まる。ここで、一部投票所で行われていたパンチカード式の投票で、穴を開けたクズがぶら下がったままになり、読み取り機が穴と判断できない欠陥が見つかる。民主党支持者の多い郡が多かったこともあり、手作業による数え直しとなった。
全米の得票総数は、ゴアの5099万9897票(48・4%)に対し、ブッシュは5045万 6062票(47・9%)で、ゴアが54万4千票近くも上回ったが、獲得選挙人はブッシュが271対266の僅差で勝利した。得票総数で民主党クリーブランドに約9万票(0・8ポイント)の差をつけられた共和党ベンジャミン・ハリソンが選挙人で65人もの大差をつけた1888年以来の、少数得票者の勝利となった。(敬称略、つづく)
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