2024年1月26日号 Vol.462

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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記憶に残る2000年大統領選挙
法廷闘争に発展、決着まで1ヵ月以上

私の半世紀近い大統領選挙取材史の中で2000年選挙は、アメリカの選挙の仕組みを考えさせられた点で、記憶に残るものだった。

ご存知の通り、アメリカの大統領選挙は、政党が大統領候補を指名するための「予備選挙」と、指名された各党候補による「本選挙=一般投票」の2段構えに加えて、一般投票で有権者は投票用紙に並んだ各党候補から、自分が望む名前を選んで印をつける「直接選挙」なのだが、開票段階では州ごとに割り振られた「大統領選挙人」の数を取り合う「間接選挙」の形になる点も2段構えである。現在、「大統領選挙人」の総数は538人で、過半数(270人)を得た候補が勝利する仕組みになっている。

なぜこのようなルールになったのか? それはアメリカという連邦国家の建国時に由来する。

2000年大統領選挙の結果

1776年7月4日に発出された「独立宣言」は、東部13の植民地が大陸会議の議を経て採択したものだったが、独立・新国家建設については意見の対立が多かった。それをあえて独立に踏み切らせたのは、当時の英国王ジョージ3世が加えてきた弾圧への反抗心だった。

実際の建国までには時間を要した。独立宣言翌年に最初の憲法というべき「Articles of Confederation and Perpetual Union=連合規約」ができたが、西部の領土権を巡って13植民地(邦)が対立し、81年3月の批准までに4年近い歳月を要した。この規約で初めて「United States of America」という連邦国家の名称が決まり、第2条で「各邦(州)は主権・自由・独立と、この規約が明文で連邦会議に委任していないすべての権限・管轄権・権利を保有する」と規定した。つまり、主権が存するのは、あくまで後に「州」と呼ばれる各植民地であって、連邦はそれらの緩い連合体でしかない、ということである。

州が勝手にしていけないことは、連合会議の承認なしに交戦することくらいで、それでも「現実に敵の攻撃を受けるか、インディアン(先住民)部族が侵略を決意したとの確実な報告を受け、連合会議に諮る余裕がないほど危険が切迫した場合は、この限りでない」と規定されていた。

この思想は現代も受け継がれており、各州は、それぞれに憲法を持ち、立法・行政・司法の3権を持ち、州兵という軍事力さえ持って主権国家としての形を整えている。日本の都道府県とは、思想も成り立ちも決定的に違うのだ。

この結果、連邦大統領を選ぶにも、主権国家たる州が誰を選ぶかが優先されることとなり、州ごとに割り振られた大統領選挙人が、一般投票の後にもう一度投票をして大統領を選出するという二重の手続きが設定されたのである。選挙人の割り当ては、各州が連邦議会に送り込む上下両院議員数に等しい。上院は、人口や面積の大小に関わりなく一律各州に2人、下院は10年ごとの国勢調査が示す人口に応じて自動的に州ごとの議員数が決まる。つまり上下院で州の主権と、有権者の数を按配した数字なのである。

さらに、州ごとの大統領選挙人は、その州の有権者が1票でも多く投票した候補が総取りする「winner take all方式」がとられる。現在、メイン、ネブラスカ両州が下院選挙区ごとに選挙人を選んでいる他は、48州がすべて総取りである。この方式では、一般投票でいちばん得票の多かった候補が、州ごとの選挙人獲得数が多かった候補に負けるという事態が生じ得る。
初代ジョージ・ワシントンは1789年2月4日に行われた選挙で全選挙人を獲得し、同年4月30日に就任したのであった。

2000年選挙は2期8年にわたったビル・クリントンの後任を選ぶ選挙だった。

1期目に明るみに出た土地転がしのホワイトウオーター疑惑を得意の嘘言の連発で乗り切ったクリントンだったが、2期目には軽薄で下衆な本性を露わにして、インターンで来ていたモニカ・ルインスキーという若い女性を大統領執務室に連れ込み、醜悪で猥褻な行為に及んだスキャンダルで、弾劾裁判にかけられた。上院で民主党の勢力が上回っていたので無罪にはなったが、誠に不名誉なことであった。

民主党は、クリントンの下で8年間副大統領を務めたアルバート・ゴア、共和党は、8年前に現職の41代大統領で再選を目指しながらクリントンに敗れたジョージ・H・W・ブッシュの長男で、テキサス州知事を2期目途中で辞任して父親の雪辱を期したジョージ・Wが指名された。ともに予備選前半からリードして危なげなく指名を獲得したが、改革党からパット・ブキャナン、緑の党からラルフ・ネーダー、リバタリアン党からハリー・ブラウンらも名乗りを上げ、賑やかな選挙だった。

民主党のゴアは、スキャンダルに塗れたクリントンを終始遠ざけたキャンペーンを張ったが、11月7日の投票は大接戦となった。ブッシュは、前回選挙で民主党に取られたアーカンソー、アリゾナ、ケンタッキー、ルイジアナ、ミズーリ、ネヴァダ、ニューハンプシャー、オハイオ、テネシー、ウエストヴァージニアの10州を取り返したが、勝利にはまだ足りない。選挙人団25人を擁するフロリダが必要だった。

東部時間午後8時ごろ、メディア各社がフロリダでの「ゴア当確」を報じたが、間も無く取り消された。翌日未明になって、今度は「ブッシュ当確」が伝えられ、敗北と判断したゴアがブッシュに祝福の電話を入れる場面もあったが、発表されたフロリダの得票差は1784票。同州法で再集計が求められる0・5%未満で、「too close to call=決定には僅差すぎる」だったため、ゴアは祝電を取り消し、票の数え直しが始まった。まず規定に従い機械による再集計が行われ、差は1000票程度に縮まる。ここで、一部投票所で行われていたパンチカード式の投票で、穴を開けたクズがぶら下がったままになり、読み取り機が穴と判断できない欠陥が見つかる。民主党支持者の多い郡が多かったこともあり、手作業による数え直しとなった。

すると、数え直しの都度、数字が変わるのである。差はさらに縮まったが、キャサリン・ハリス州務長官は、投票後7日以内に公式結果を発表するとした州法に従い、14日時点の集計結果でブッシュの獲得票が多いと発表。ゴアは手作業集計の延長を州最高裁に提訴して集計期限を26日まで延長する判決をとった。しかし、手作業では1時間に60票数えるのがやっとなので、数え直しが行われた郡では26日期限では間に合わないと、集計を中止してしまう。ハリス長官は26日、537票差でのブッシュ勝利を公式に認定した。

ゴアは州最高裁に再提訴、12月7日に集計再開を認めさせたが、ブッシュ陣営は連邦最高裁に「差し止め」を請求。連邦最高裁は連邦法が選挙人確定期日としている12月12日に、これ以上の再集計を禁ずる判決を下し、州務長官による公式認定を確定させた。ゴアは、「最高裁判決には同意できないが受け入れる」と敗北を認め、ブッシュにあらためて祝いの電話を入れた。執拗に敗北を認めないトランプとは一味違う。

全米の得票総数は、ゴアの5099万9897票(48・4%)に対し、ブッシュは5045万 6062票(47・9%)で、ゴアが54万4千票近くも上回ったが、獲得選挙人はブッシュが271対266の僅差で勝利した。得票総数で民主党クリーブランドに約9万票(0・8ポイント)の差をつけられた共和党ベンジャミン・ハリソンが選挙人で65人もの大差をつけた1888年以来の、少数得票者の勝利となった。(敬称略、つづく)
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