2023年10月13日号 Vol.456

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
[Detail, 86] バックナンバーはこちら

キューバと日本の友好継続
ヘミングウェイが愛したハバナ

ヘミングウェイの邸宅をそのまま博物館にしたフィンカ・ビヒア・ヘミングェイ博物館 (Museo Hemingway Finca Vigia, Photo CC BY 2.0)

90年代に2度訪ねたキューバへの旅は、フィデル・カストロとの単独会見の企みがあっさり破れた。では残りの数日間をハバナでどう過ごしたか。

むろん、この国に興味は尽きない。

まず、59年の革命以来、国際関係で最大の頼みとしてきたソ連が国ごと解体消滅し、兄貴分の東欧諸国も理念としての社会主義を放棄して、計画経済から市場経済へ、1党独裁から複数政党による代表制民主主義への移行で苦闘していた。中国や北朝鮮など少数派ながら共産党の支配を守ろうとしていた中にキューバも含まれていた。この状況にキューバの官民が何を思い、どこに向かおうとしているのか?

思い立ってキューバ政府の対外関係省(外務省)を訪ねようと電話をかけた。外交を預かる役所だけに、ここでは英語が通じた。やがて電話に出たのは野太い声の女性だった。日本人ジャーナリストで、現下の国際関係について取材したいと告げると、「この国では、私たち官僚が勝手に外国人と会うことは許されていない。だから、ここに来てもらっても応対できない。ただ、日本は友好国だから、あなたが私のコメントを直接引用しないと約束してくれれば、少しの時間、この電話で話せる」という。”

「日本が友好国」と言うのは、キューバと日本は52年11月の対日講和条約締結に伴い国交を回復し、キューバ革命直後の60年に通商協定を結んだ(翌年発効)。そうした関係が続いてきたからだ。そこで、彼女がどういう部署にいるかを聞くと、「それは答えられない。この国の外交全般に関与はしている」との答え。相当の地位と考えて質問を続けることにした。あれから30年近い歳月を経ている。取材ノートを見ながら問答をここに再録しても問題にはならないだろう。

――ソ連とはキューバ産砂糖と、ソ連産石油をバーターで取引していたと理解しているが、ソ連崩壊後はどうしている?

「ソ連という国家の消滅は私たちには寝耳に水のことで驚き、一時は混乱した。が、ロシア連邦が、ほぼ以前通りの交易に応じてくれた。中国や中東の国ともチャンネルができているのでエネルギーの調達に問題はない。砂糖はじめキューバ産品の輸出は、冷戦時代より増えている」

――東欧諸国との関係は?

「大きく変わった国もあれば、従来通りの関係が続いている国もある。東ドイツには医療留学生を多数送り出して世話になったが、その伝統は統一ドイツに引き継がれている」

――米州機構=OAS、Organization of American States=からは、62年のキューバ危機以来除名されたままになっている。復帰の意志、あるいは、そのための工作をしているか?

「それはOAS側の問題で、いつでも復帰する準備はできているが、こちらから表立って工作することはしない。西半球には2国間で親密な関係を結んでいる国も多いので、日常的に困ることはない」(キューバは2009年にOASに復帰したが、その前後もベネズエラやボリビア、ニカラグアなど左派政権の諸国との関係が深い。ペルーの日本大使公邸占拠事件では、犯行主体だったトゥパクアマルの亡命受け入れを表明していた)

――対米関係打開の道は?

「これも先方の考え方次第。米政権も国交を再開したいと思っているはずだが、フロリダにいる旧体制下で甘い汁を吸っていたキューバ人や、その子孫たちが関係改善に反対して動けずにいる。国交回復にはまだ時間がかかるだろう」(キューバとアメリカは2015年に国交を回復したが、トランプ政権が亡命キューバ人寄りの政策をとるなどして、必ずしも正常とは言えない関係が続いている)

――世界はグローバル化、自由と民主主義、市場経済化に向けて動いている。キューバとしてどう対応して行くのか?

「基本的には革命以来の制度と統治構造(共産党の独裁)に自信を持っている。ただ、時間の経過とともに、見直しも必要だ。内政の担当部局では、米ドルの所持を合法化し、一部の私的所有や、国営企業の民営化、外国資本の受け入れに関する法整備などに向けて研究と検討を進めている。より多くの国々と正常でより良い関係を結ぶために必要であれば、私たちも改革を進める。国際社会で孤立しようとは考えていない。ただし、いま進行中のグローバル化が人類全体の福祉になるかと言えば、疑問の余地が多い。IMF=国際通貨基金や世界銀行の乱暴なやり方には辟易している国も多いはずだ。日本はどう考えているの?」

こちらが予想した以上に率直な回答で、正直驚いた。対応してくれた女性の身分については、その後も解明の努力をしたが、秘密の壁を突破することはできなかった。

そこで、一般市民が社会主義統治の継続を望んでいるのか、現状に不満はないのか、滞在中に接した人たちにそれとなく聞いてみると、あっけないほど楽観的と言おうか。

「あまり不自由は感じない。恐怖も感じない。ただ、アメリカと自由に往復できるようにしてほしい」

彼ら彼女らの表情は明るく、私との会話にも逡巡や警戒感は感じなかった。

では、日本との関係については、どう考えているのだろう。街を歩いていると、ほぼ例外なしに「Chino=シナ人」と声をかけられる。「No, Japones=ハポネス」と答えても反応は鈍い。一般に日本に対する関心が薄いと感じた。日本大使館で聞くと、「我が国としては、キューバとの間に地政学上の利害関係が薄く、カストロが親日でもあることから、良好な関係を続けている。ただ公的関係よりも、音楽やスポーツなど民間交流が活発だ」との答え。明治以降に移民して定住した日系人が約800人いるそうだが、「結束した行動よりキューバ社会への融和が進んでいる」という。

そして、入国査証で目的とした観光だが、私の関心は絞られていた。

かつてアメリカの富豪たちが葉巻の煙とともに群遊した高級クラブやカジノは、むろん跡形もないが、建物群は残っている。ハバナは、文豪アーネスト・ヘミングウェイがこよなく愛した街でもあった。

郊外の高台には、晩年のヘミングウェイが22年間暮らした住居が、本人の遺言でキューバ政府に寄贈され記念館として公開されていた。ハバナ市街を見渡す白亜の建物には、不朽の名作『老人と海』を書き残した書斎から、寝室、食堂、浴室……書斎にはタイプライターや多くの本棚があり、高齢のヘミングウェイが今にも現れそうな雰囲気があった。ただ、老朽化の跡は随所に痛々しく、早く修復しないと手遅れになると心を痛めたものだったが、21世紀になってアメリカの修復グループの手で改修工事が行われ、いまは往時の美観が回復されているという。

市内にも、ヘミングウェイがしばしば訪れて「この椅子に座っていた」というバーがあり、彼が愛飲したというフローズン・ダイキリーを注文して文豪のありし日の姿を偲んだりもした。

現在のキューバは、中国が盗聴施設など機密情報収集のための施設を展開、新設するキューバ軍基地に中国軍を常駐させる工作を進めていると伝えられる。(敬称略、つづく)
HOME