2022年7月8日号 Vol.425

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
[Detail, 57] バックナンバーはこちら

番組で不合理価格を追及(2)
ネコババされても「お上」を疑わない日本人

前回書いた電話料金不正請求問題(取り過ぎ)に限らず、NTTに対しては強い不満と懐疑を持っていた。家庭画報に連載していた『あなたのための時事解説』には、以下のような記述もある。長くなるが、抜粋を続けよう。(カッコ内は今回加筆)


筆者が、NTTという会社に懐疑を抱くには、それなりの理由がある。筆者自身の体験として、欧米先進諸国の電話事業と比べてNTTのサーヴィスが格段に見劣りする一方で、NTTには「金に汚い」ことを示すいくつかの体質があるからだ……

アメリカの電話の優れた点をもう一つ挙げておくと、コーリング・カードというシステムだ。通常、自分の電話番号に4桁以上の数字を加えたカードの番号を呼び出した交換手に伝え、相手先につないでもらう形で運用が始まった。最近は、ゼロの次にかける相手の電話番号をプッシュし、信号音が聞こえたところでカード番号を押せば自動的に相手につながる。料金は、追って電話料金に加算され、請求がくる仕組み……ここまで述べれば、筆者が何と比べようとしているかお解り頂けるであろう。NTTのテレフォンカードである……

これがアメリカのそれと決定的に違うのは、先にお金を取ってしまう、プリペイド・カードという点である。(公共性の強い企業が)財貨やサーヴィスを提供する以前に、料金を先取りするなどとんでもないと考えている……

第一に、先取りする以上、利用者に一定の割引などのオマケがあって当然なのに、発行枚数が圧倒的に多い500円のテレカでも、それが全くない。まことにアコギなカードである(電車の回数券にも割引はある)……

このテレカが猛烈な勢いで普及している。NTTが出した数字だから、多少手心が加わっているのかも知れないが、88年度には2億5658万枚、金額にして1614億円を売り上げ、翌89年度は2億9992万枚に増加したが、どういうわけか金額は不詳だという(売った枚数がわかっているのだから、売値を乗ずれば答えは簡単に出る。それが「不詳」だというのは、公表できない特定の裏取引が存在することを意味するのではないか?)……

いずれにせよ、年間3億枚近い『料金先取りカード』を売っているのに、利用者には割引という還元を一切していない。その一方でNTTは先取りしたカードの代金を思いのままに運用して利益を上げることができる。少々荒っぽい計算になるが、89年度の売り上げを2000億円として5%の利回りで運用すれば100億円もの収益が上がる(当時はバブル最盛期で物価高騰が進み、日銀は89年度中に公定歩合を年2・5%から5・25%へ5度も引き上げた。市中金利の基準となるプライムレートは大半の期間4・25%で、巨額の資金を運用する際には5%を優に上回る利益が期待できたから私の試算はごく控えめだった。その一方で、カードの作り方が杜撰だったために、街には、偽造カードが大量に出回り、それによる通話料はNTTが全損する形になった)……

しかも、贈答品や記念品として利用されることが多く、1度も使われずに退蔵されているカードが一説には2億枚を下らないとされる。そのカードの代金はNTTのタダ取りということになり、NTTは、それに対する財貨やサーヴィスの提供を一切しなくて良い。これは要するにネコババという行為ではないか……
汚い言葉が続いて恐縮だが、NTTのネコババはテレフォン・カードに止まらない。あの百円硬貨を入れる公衆電話。一度百円玉を呑み込んでしまえば、10円分しか使わなくても、おツリは絶対に返さない。これほど不条理で、手前勝手で、利用者の利便を無視し、バカにした商いの道具を筆者は目にしたことがないし、おそらく世界中に例を見ないであろう……

NTTは、長い間、(日本電信電話公社という)公営企業として独占の上にあぐらをかいてきた。サーヴィスは劣悪なのに、法外とも言える高い料金を利用者からしぼり取り、あまつさえ、さまざまな不当利益まで上げてきた。こうした天をも恐れぬかに見えるNTTの厚顔無恥な所業はむろん糾弾すべきだが、ここまで非常識を放置し、増長させた責任の一端は、利用者の側にもあると言わねばならない……
このことに限らず、日本の消費者は自分たちの権利を主張し、利益を守ることに、あまりにも消極的ではないか。消費者は常に圧倒的多数派である。圧倒的多数の幸福なくして何のための国家であり、誰のための社会なのか。もうそろそろ、眠りから覚め、起ち上がって良い頃合いではないか、と筆者は思う……

この最後の段落に書いたことこそ、当時の私が日常的に痛感していたことだった。

消費者の自覚を促すのは主にマスメディアの任務だと思う。消費者に自覚が足りないのは、メディアに発想が足りず、努力も欠けているということだ。微力は承知で、私のやっていたモーニングショーを発火点にできないか、考え続けたし、それなりの試みもした。けれども、世論は一向に盛り上がらなかった。テーマの設定に始まり、それを番組化する過程での構成、取材の角度、幅と奥行き、見せ方の工夫など、すべて足りなかったのも事実だろうが、何を取り上げても、視聴者の反応は鈍かった。反応が鈍いということは、共感してもらえなかった、ということである。

多くの日本人の心には「お上」という意識がしつこく住みついていた。封建時代の領主に始まって、明治維新後は天皇となり、役人、そして軍人が代官の役割を演じたが、庶民による「お上」への従順は変わらなかった。敗戦で日本は生まれ変わり、「国民が主人公」とする憲法が制定された。しかし、それでも統治の構造に大きな変化はなかった。それは、戦前・戦中を通じて軍人に膝まづき、その威を借りて庶民を強圧した官僚機構が、戦後も生き残ったからだ。

彼らは敗戦の日を境に掌を返して、日本軍部から占領軍に忠誠と追従の相手先を代えた。一例を挙げれば、戦中、軍部の意向を最も忠実に実行した軍需省は、敗戦からわずか11日後(8月26日)には省内の看板をすべて付け替え、商工省に成り代わって占領軍の進駐を迎えた。この早技――占領軍総司令部は、予想外とも言えた日本の官僚の従順さとソコソコ優秀な頭脳と行動力に目をつけ、不慣れな民政に活用した。官僚側の思う壺……ごく一部を除いて、日本の官僚機構による統治のシステムが温存されたのである。統治される側も、変化の少ないことに居心地の良さを感じて、「お上」に従った。

「むかし軍人、いま官僚」――「お上」たる官僚は、自分たちの無謬性を日常的に喧伝する。庶民も、「お上」の言うことに間違いはなかろうと、安易に順応し続けた。「公社」の名を冠せられたNTTも限りなく「お上」に近い存在だった。マスメディアは、しばしば「お上」を批判するが、所詮「お上」ではあり得ない。私たちの試みは素手で風車に向かうドンキホーテのようなものだった。

日本の庶民が「お上」に盲従しなくなるまでには、不満の発信源ともなる情報が氾濫する21世紀を待たねばならなかった。(つづく)

HOME