2024年2月23日号 Vol.464

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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死者も出たジェノヴァG8
反グローバル化が顕在化

2001年のG8サミットは、7月にイタリアの港湾都市ジェノヴァで開かれたが、反グローバリゼーションの過激なデモに正面から遭遇することになった。

グローバル化の出発点を、常識的に考えて社会主義統治が終わって世界中が資本主義・市場経済化に動き出した東欧革命の89年以降とすると、もう10年以上が経過していた。

経済資源を国家の計画に基づいて配分する「計画経済」から、需給バランスに基づく価格調整メカニズムに委ねるなど経済活動のすべてを市場の原理と機能が決める「資本主義」が全世界の共通理念となったのが「グローバル化」と考えるからである。ただ旧東側諸国は、この変革に、程度の差こそあれ当惑し苦戦していた。

デモ隊により燃やされたイタリアの国家憲兵隊(カラビニエリ)車(イタリア・ジェノヴァ、2021年7月20日撮影)Author: Ares Ferrari, Creative Commons CC-BY 2.5

市民たちは、統制が強く不自由な社会主義統治の中で、長い間あこがれてきた「自由と民主主義」を手に入れることに初めのうちは熱狂して、市場経済へのグローバル化をも歓迎していたが、「市場万能主義」が浸透するにつれ、「市場」が「競争」を前提としており、競争とは必然「勝者」と「敗者」を生み出すもので、勝者が莫大な利益を手にする一方で、敗者はマイナスを強いられる仕組みがわかってくるにつれ、そこから生み出される「富の偏在」に不満を抱くようになっていった。

競争で勝つには、知識と理解力はもとより、競争のスピードに負けない反射神経など競争環境への順応性、継続と忍耐、運など多様な条件を備え、かつ味方につけなければならない。「勝つ」のは容易なことではないのである。当然、勝ち組より負け組が多くなる。過半を占める負け組に不満が募るのも必然であった。

世界中が共通の理念で動くようになって、国境の壁も低くなった。少しでも高い労働賃金を求めて移民の増加が顕著になり、受け入れ国の労働市場が逼迫して失業者の増加、不法滞在や治安の悪化という副次的現象も起きて、移民流入への反対も高まった。労働組合、農業・環境保護・人権擁護などの団体に加え、反資本主義を主張する左翼過激派や、全身を黒装束で包んで「ブラック・ブロック」と呼ばれたアナキスト=無政府主義者集団も加わって、反グローバリゼーションの輪が急速に広がって行った。

大衆行動として最初に形になったのが、1999年11月末から12月初めにかけワシントン州シアトルで開かれた世界貿易機関=WTO総会であった。私は現場に行かなかったが、CNNなどの映像を見ていると、約5万人のデモ隊が会場を「人間の鎖」で包囲して開会式が開けなくなったほか、一部が暴徒化して商店を襲い、警官隊と激しく衝突した。同様の反対デモは、翌2000年4月に首都ワシントンで開かれた国際通貨基金=IMF総会にも押しかけた。

ジェノヴァ・サミットを開くにあたり、イタリア官憲は過激な反対行動を予測し、会場を警備のし易い港近くのドゥカーレ宮殿に設営して、周囲に高い壁と鉄柵を巡らせていた。私たち報道陣も、急遽借り上げて停泊させた客船に宿舎を割り当てられ、これまでのどこのサミットとも違う狭苦しい船室に押し込まれて難儀した。

反グローバリズムを叫ぶ団体は、「G8サミットこそ、経済のグローバル化を推進する主要国首脳が一堂に会する場だ。それを徹底的に破壊する」としてジェノヴァを標的にした。開幕前日に現地入りした私たちにも緊張感はヒシヒシと伝わる。街頭で出会ったアメリカ留学中というスペイン人の青年は、「G8などと言っても、彼らは一枚岩ではない。陰で対立して冷笑し合っている。それぞれの国内では、罪もない者を拘束して拷問にかけ、他国に向けては戦争を仕掛けている。不条理を放置するわけには行かない」と話していた。

ジェノヴァ・ソーシャル・フォーラムと名乗る団体は、「我々の目的」と題したアピールを配っていた。大要、次のようなことが読み取れた。

「現在の世界は深刻な不正義に満ちている。発展した資本主義国に住む世界人口の20%の人々が地球資源の83%を浪費している。その一方で毎年1100万人の子供たちが栄養不良で死亡し、13億人が1日1ドルに満たない暮らしをしている。今回サミットの国際的重要性は(ここに集うた首脳たちではなく)現行とは異なる方法を追求し、社会的正義・連帯と持続可能な成長を求めて活動してきた多くの個人・組織こそが体現している……環境保護、市民・労働者の権利、公正で共生的な経済モデルの推進、市民組織によって続けられてきた平和と不正義への闘いの諸原則の確認……増大する社会的分裂によってより良い社会を夢見ることさえ妨げられている現在の支配的な文化モデルに対処するには、新たな思考方法を創り出すことが必要で、それが今回の行動の意味である」

評判通りの黒装束で現れたブラック・ブロックは、繁華街の商店やオフィスを手当たり次第に破壊し、駐車している車に火をつけ、警備陣には火炎瓶を投げつけるなど、無法の限りを尽くすのだが、警官隊はなぜか手を出さない。デモ隊の規模はサミット初日の20日午後には約20万人にも膨れ上がった。その一部がレッドゾーンとされたドゥカーレ宮殿近くで警官隊と激しい揉み合いとなり、警官隊のバンを消火器で攻撃していた23歳のイタリア青年に車内の警官が発砲、死亡させる事態にも発展した。むろんケガ人も多数出て、それを移送する救急車とポリスカーのサイレンで街は喧騒の渦と化した。

G8首脳は21日午前の会合で、死亡事故に悲しみと遺憾の意を表明するとともに、サミットに向けられた暴力を非難する声明を出した。また、最終日の22日に発表したG8コミュニケの末尾にも、「暴力、人命の喪失と思慮のない野蛮な行為を嘆く」との文言が追加された。

この年4月に首相になった小泉純一郎にとって、初めてのサミットだった。

退陣した森喜朗の後継を決める自民党総裁選挙で「自民党をぶっ壊す」と広言した小泉は、首相就任後も「改革なくして成長なし」のスローガンの下、規制緩和、公的部門の縮小(民営化)、不良債権処理と銀行改革などの諸施策の推進を挙げていたが、サミットでも、「このような改革を行うことで世界経済に対する責任を果たしたい」と明確に表明して各国首脳から強い支持を取り付け、首脳声明の冒頭「世界経済」の日本の項に、「最近発表された改革イニシアティブを歓迎する」と書き込まれた。

97年に京都で開かれた国連気候変動枠組み条約の第3回締約国会議(COP3)で採択された「京都議定書」について、小泉に先立って1月にアメリカ大統領に就任したジョン・W・ブッシュが「離脱」を表明していたが、小泉は、「アメリカを含むすべての国が一つのルールの下で行動することが重要で、議定書の02年発効に向けて全力を尽くす」と訴え、「議論の取りまとめに貢献した」とされるなど、随所に存在感を示した。

終了後の内外記者会見でも、「改革なくして成長なし」の標語を繰り返し使って、経済政策に強い意欲を示す一方、反グローバル化の動きについては、「デモ隊から死傷者が出たのは大変悲しく残念なことだったが、サミットを壊してしまえという圧力に屈してはならない。サミットは先進国だけの会合ではないからだ。途上国はもちろん、世界全体の発展、成長、貧困削減、教育など幅の広い問題解決のためにあるのであって、先進国だけのことを考えているわけではない」と明快に主張した。(敬称略、つづく)
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