2024年3月15日号 Vol.465

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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911同時多発テロ
日常が一変した瞬間

2001年の9月11日は火曜日だった。

午前9時前、テレビ朝日ニューヨーク支局に出勤すべく身支度をしていた。スーツを着る前にシャツをつけ、ネクタイを結ぶ……そんなルーティンをしながら、ふとリビングのテレビ画面に目をやった。真っ青な空にマンハッタン南端に近いワールド・トレード・センター=WTCの110階建てトゥイン・タワーが屹立している。

ところが、北側の棟の上階部分から火が出ているのだ。テレビの音声は、「航空機が衝突した」と言っている。刹那的に、私的もしくは遊覧の目的で飛んでいた小型機の操縦ミスだろうと思った。
「視界が目一杯開けた良い天気になぜ? バカなパイロットがいるもんだ」と思いながらも、目が離せなくなった。数分後、一目で大型旅客機と分かる機体が南側から南棟めがけて一直線に飛来し、火を噴き出している北棟より少し下だが、かなりの上階部分に突入した。9時3分だった。

「これはテロだ」

ユナイテッド航空175便がトゥイン・タワー南棟に突入した瞬間(11 September 2001, Public Domain)

直感的に思い浮かんだのは、「アルカイダ」というイスラム過激派の国際テロ組織――確信に近かった。傍にあった電話器をつかんで東京のテレビ朝日にダイヤルした。ニューヨーク時刻の午前9時は日本時間午後10時。報道番組「ニュースステーション」が始まっている。その直通番号を呼び出し、ニューヨークで大事件が起きたことを伝えると、「すぐスタジオにつなぎます」――ここまでは早かったのだが、スタジオとのつなぎに手間取った。その間にも私の思考は駆け巡る。9月11日、911はアメリカ人が非常事態に救援を求める緊急番号だ。アルカイダは、その日を選んで犯行に及んだか?

電話がスタジオにつながるまでに数分を要し、第一報が東京にも届いていた。もちろん、大騒ぎだ。

「内田さんのいるところから現場は見えますか?」

私の住まいはミドタウンの2番街47丁目の角にあった。37階の高層階だが窓は北東に開けて、南は見えない。

「見えないが、テレビの画面で時々刻々の動きを見ています」

「分かりました。この電話、切らないで下さい」

当たり前だ、こちらから切るはずがない。ヘリを飛ばして刻々の状況を生中継している3大ネットワークとCNNをザッピングしながら、現場を見つめた。番組は、そのまま日付が変わる12時まで時間を延長し、私は電話器を掴んだまま随所でリポートを送り込んだ。テレビ画面から見える現場の状況以外は、WTC とアルカイダのことを話した。

WTCは、金融街を象徴する高層ビルのコンプレックスであった。冒頭に「トゥイン・タワー」と書いた2棟の110階建てオフィスビル(1WTC、2WTC)を中心に、22階建てのホテル、2棟の9階建てオフィスビル、8階建ての税関ビル、47階建てオフィスビルが、それぞれ3〜7WTCの地番を振られて建ち並んでいた。ニューヨーク・ニュージャージー・ポート・オーソリティ(港湾公社)の主管で、モダニズム建築家として知られ始めていた日系アメリカ人ミノル・ヤマサキによる2本の巨大な直方体として設計され、1973年に開業。最頂部までの高さ528メートルは、エンパイヤ・ステート・ビルディングを抜いて、当時世界一の高さを誇った。

コンプレックスには5万人が働き、毎日14万人が観光やビジネス目的で訪れると言われていた。南棟の最上部にはTop of the World という展望台、北棟の最上階に近いところにはWindows on the Worldというレストランがあり、とくに美味いわけではなかったが、ロケーションの良さが喜ばれるので、客を連れて行く機会が多かった。

衝突した航空機の便名が明らかになる。

最初(午前8時46分)に北棟に突っ込んだのは、乗客81人(テロリスト5人を含む)、乗員11人計92人を乗せて定刻1分遅れの同7時46分にボストン・ローガン国際空港からロサンゼルス国際空港に出発したAAアメリカン航空11便のボーイング767型機だった。やや遅れて同9時3分に南棟に突入したのは、同8時14分に乗客56人(テロリスト5人含む)と乗員9人計65人を乗せ、やはりボストンからロサンゼルスに向けて飛び立ったUAユナイテッド航空175便の同型機だった。AA機は94〜98階付近、UA機は77〜85階部分に激突、両機とも大陸横断の定期便だから燃料満載で、突入と同時に激しく炎上した。

旅客機の直撃を受けたビルには火炎が広がる。周囲の空中には、オフィスから吐き出されたと思われる無数の紙片が舞い、テレビの音声は、絶望した人々が上階から飛び降り始めていると伝えていた。

午前9時59分、後発のUA機が突入してから56分後、南棟がまず崩壊した。110階建ての巨大なビルが崩壊するのだから、その瓦礫は猛烈な量となる。テレビの画面は、もうもうたる煙に包まれて何も見えなくなった。地上のカメラが、逃げ惑う人々の姿を写している。「信じられない」という表情だった。画面で見ていると、映画の1シーンを見ているように思われるが、すべて現実なのである。

そして7分後の同10時3分、AA機が先に突入していた北棟も崩壊を始めた。遠景で写したWTCは姿を全く変えていた。たとえようのない喪失感――。その後も破壊が進み、夕方までには47階建て7WTCビルが倒壊するなどコンプレックス全体が壊滅、総被害額は350億ドルと推定された。

これより先、さらなる恐怖が襲っていた。午前9時37分に、首都ワシントン郊外アーリントンのペンタゴン=国防総省庁舎にも旅客機が突入したと伝えられたのだ。午前8時49分、ワシントン・ダレス国際空港を離陸、ロサンゼルスに向かったAAアメリカン航空77便で、テロリスト5人を含む乗客58人と乗員6人、計64人を乗せたボーイング757型機だった。

アメリカ経済の拠点とも言えるWTCと、軍事力の司令部ペンタゴン……世界に突出する超大国アメリカを象徴する二つの地点が同時攻撃されたのだ。しかもテロリストの標的はこれだけではなかった。

4機目が政治の中心、ホワイトハウスや連邦議事堂のある首都ワシントンを目当てに飛んでいたのである。午前8時42分、テロリスト4人を含む乗客37人と乗員7人計44人を乗せてニュージャージー州ニューアーク国際空港からサンフランシスコ国際空港に向け離陸したUAユナイテッド航空93便のボーイング757型機が20分後にはハイジャックされて進路変更を迫られた。これに機長が抵抗、異変を感じた乗客らも加勢してハイジャック犯と格闘になり、機はワシントンには行けず、離陸から1時間21分後の午前10時3分、ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外の原野に墜落したのだった。

テロリストは旅客機をミサイル代わりに、アメリカの政治・経済・軍事に同時攻撃を仕掛けたのである。攻撃による死者は、テロリスト19人を除くと2977人、そのうちWTCの犠牲者は2753人に上った。日本人は南棟79〜82階にあった富士(現みずほ)銀行の行員12人を含む23人と、UA93便に乗り合わせた留学生を合わせ24人であった。(敬称略、つづく)
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